侯爵夫人の復讐
 夫のデリーが帰る時間になると、キルアは使用人たちとともに玄関ホールで出迎える。

「お帰りなさいませ、旦那さま」


 全員で声をそろえて挨拶をし、深く頭を下げる。
 誰かひとりでも声がずれるとデリーの機嫌が悪くなるので、全員の息はぴったりだ。
 デリーがいいと指示すれば顔を上げてもよいことになっている。


「よい。皆の者、今日は何か変わったことはなかったか?」


 デリーの質問に対し、使用人たちは一斉にキルアを見つめた。
 キルアは無言のまま、まっすぐデリーを見つめる。
 デリーはみるみる表情が歪み、キルアに近づいて眉をひそめ、訊ねた。


「また君が何か問題を起こしたのか? 正直に言いなさい」
「お義母(かあ)さまのお怒りを買ったようです」
「何をやらかしたんだ?」


 キルアが黙ると、使用人のひとりが叫んだ。


「大奥さまのネックレスを盗んだのですわ!」


 デリーの表情が醜く歪んでいく。
 キルアは呆れ顔で嘆息した。

 デリーは何をどう言ってもキルアの言葉に耳を傾けることはしない。
 それがわかっているからキルアも反論せず、ただ夫の八つ当たりの的になるだけ。


「君のために訊いてやろう。母にはどちらの頬を叩かれた?」
「右です」
「そうか。わかった」


 するとデリーは思いきり手を振り上げてバシーンッとキルアの左頬をひっ叩いた。
 使用人たちが「きゃっ」と悲鳴じみた声を上げる。
 キルアは唇を引き結び、頭を下げたままじっとしている。
 デリーはにやりと笑った。


「キルア、俺がなぜこんなに罪を犯す君を離縁もせずにここへ置いてあげているのか、わかるだろう?」

 無言のキルアに向かってデリーはペラペラとしゃべる。


「君は家族を亡くして可哀想な身だから、多少の悪だくみも精神的なもので仕方がないと大目に見ているんだ。それに対して君はもっと努力すべきだろ」


 デリーはいかにも自分は善人だとでも言うように、肩をすくめて笑顔で語る。
 その姿がキルアにはたいそう滑稽に見えるが、反論はせず、ただ真顔で彼の顔を見据えるだけだ。


「俺はこんなに寛大な心を持って君を受け入れてあげているんだぞ」


 デリーは義母そっくりな歪んだ顔を浮かべる。
 チョコレートがマーブル状に溶けていくあの表情だ。
 ついでにデリーは頬に大きなほくろがあるので、アーモンドチョコレートがくっついているみたいだとキルアは思った。


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