侯爵夫人の復讐
「君はもっと自分に厳しくあるべきだ。わかるな?」
キルアはぼそっと「そうですか」と答える。
夫の言っていることが理解できないからだ。
とはいえ、理解不能なことを言うのは結婚前からなので、慣れている。
デリーは困惑の表情でため息をつき、キルアに言った。
「出来損ないの妻にお仕置きをしてやっている俺に感謝すべきだ」
軽く頭を下げて無言を貫くキルア。
それを弱々しく震えていると思ったデリーは、加虐心を掻き立てられたようで、にんまりと嗤う。
「俺は忙しい。明日は大事な客が来るからな。これ以上面倒をかけないでくれ」
デリーはふふんっと笑ってキルアを玄関ホールに残したまま部屋へ向かった。
残されたキルアを見て、使用人たちがくすくす笑う。
「ああ、スカッとしたわ。さっき大奥さまに怒られたばかりだったの」
「本当。迷惑な人よね」
「旦那さまはなぜ、こんな出来損ないの女を夫人に迎えたのかしらね」
「お金よ。家族が死んで莫大な財産を受け継いだらしいわ」
「拾ってもらえただけありがたく思うことね」
言いたい放題の使用人たちを背後に、キルアは静かに立ち去った。
そして、自室に戻るとまたもやすぐにセドルが水の入ったタライを持って駆けつけた。
「ごめんなさいね。二度も手間取らせてしまって」
「いいえ。奥さまのためなら俺は何でもします」
「ありがとう」
キルアはぶたれた左頬を水にぬらしたタオルで冷やす。
そのあいだ、セドルはよい香りのするキャンドルに火を灯した。
ふわっと花の香りが漂い、キルアは目を閉じてそれを楽しんだ。
セドルは静かに報告する。
「旦那さまのお部屋に新しい花を飾っておきました」
「あら、そう。今回はどんなお花かしら?」
「不眠症に大変よく効くらしいです。ただ少し別の花も混ぜておきましたが」
「何を混ぜたの?」
「催眠効果のある薬草を」
「あら、その組み合わせは……」
「大丈夫です。誰も気づきません。なぜなら……」
「わかっているわ。あの人にしか効果がないものね」
キルアは静かに立ち上がり、バルコニーから夜の景色を見つめた。
実に落ち着いた夜だ。ひっそりと静まり返っている。
キルアは笑みを浮かべて訊ねる。
「たしか明日、旦那さまは大事なお客さまと出会う予定だったわね」
「ええ、そうですね」
「あらまあ、それは気の毒だわ」
キルアが嬉しそうに笑うと、セドルは深々とお辞儀をした。
バルコニーから風が入り、キャンドルの炎が怪しげに揺れた。