その笑顔を守るために
昨今の地球温暖化の影響もあってか、九月に入ったというのに猛暑は全く衰えない。ERでは熱中症の搬送も後を絶たない。山川からの共同論文の提案を受け、その準備も含め瑠唯は多忙を極めていた。加えて院内での噂も、院長らの計らいがあったにも関わらず一向に収まらないのも頭痛の種だ。しかし瑠唯には今、もっとも心を痛めている事がある。
真理子の容態である。
先日美香から自力で立っていられる時間が増えたと嬉しい報告もあったのだが…それに引き換え真理子の身体は日に日に衰えをみせていた。最近は一日中寝て過ごす日も増えている。
「真理ちゃん…具合、どう?」
「あっ、瑠唯先生…」
うつらうつらしていた真理子が瑠唯の声で目を覚ます。大好きな先生の回診に薄っすらと笑みを浮かべた。
「あっ…起こしちゃった?」
「ううん…いいの…昼間あんまり寝てばっかだと、夜眠れなくなっちゃうから…」
…嘘だ…最近は、昼となく夜となく寝ている時の方が多いのだ…それでも瑠唯の回診が嬉しくて…
「先生…最近忙しそう…ちゃんとご飯食べてる?」
「真理ちゃん…それ、私のセリフだから…」
「あっ、そうだね…」
と力なく笑った。
「私は大丈夫だよ、それより真理ちゃんは?少しは食べられた?ジュース飲むんでもいいよ。」
彼女は微かに首を振り
「食べたくないの…無理に食べると直ぐはいちゃうし…」
「飴…食べる?」
「今は…いい…でも後で食べたくなるかもしれないから一つちょうだい。」
「じゃあ…ここ、置いとくね。」
瑠唯は白衣のポケットから飴を一つ出すとベット脇のテーブルに置いた。そこへ真理子の母親が炊事場から戻って来た。
「あっ…先生…何時も真理子がお世話になってます。」
「お母さん…如何ですか?真理ちゃん…」
「今日は朝からあまり調子がよくないようで…」
「毎日暑いですからねぇー誰だってグッタリですよ。お母さんも体調気を付けてくださいね。私も今真理ちゃんに、ご飯ちゃんと食べてるかって聞かれちゃいました。」
「まあ…真理子ったら、先生にそんな事…」
「それだけ真理ちゃんが優しくて思いやりがある子なんです。」
「先生…」
そんな話しをしているうちに、真理子はまたスゥっと寝てしまった。その寝顔を見て母親が聞く。
「先生…真理子は、後どのくらい…」
「お母さん…少し外で話しましょうか?」
人気のない談話室で、瑠唯は真理子の母親と向き合って座った。
「お母さん…真理ちゃんとっても頑張ってますよ。今は、食事も出来なくて体力がないから眠っている時間が長くなっていますが、もう少し涼しくなってまた少しでも食欲が戻るようなら今より元気になると思います。」
「本当に…そうなるんでしょうか?真理子はもうこのまま…」
「お母さん…今は未だ、諦めないでください!だって真理ちゃん自身が未だ諦めずに戦っているじゃないですか?それなのに私達が諦める訳にはいかないでしょう?私は真理ちゃんが諦めない限り治療を続けます!だから…お母さんも諦めないで下さい。」
「はい…はい…先生…ありがとうございます。真理子を宜しくお願いします。」
そう言って母親は瑠唯に頭を下げた。
夕方、ナースセンターにいた瑠唯に大野から内線が入る。
『原田…今ちょっと時間あるか?よければこっちに来い!話しがある。』
「はい…直ぐ伺います。」
瑠唯が大野の部屋をノックする。大野は院長から特別に私室を与えられているのだ。
「原田です。」
「おお…入れ!」
「失礼します。」
瑠唯が部屋に入ると大野は数枚のMRI画像を見ていた。
「脳腫瘍…ですか?」
「ああ…」
「随分、嫌なところにありますねぇー先生、オペされるんですか?」
大野は黙ったまま画像を見つめて何も言わない。そして、徐に口を開くと
「お前に頼みたい。」
「は?私にですか?」
「ああ…お前にオペしてもらいたい。」
瑠唯は暫く考え込み
「ちょっと厳しいかと…仮に取りきれたとして、後遺症は免れないかと…放射線療法は?」
「なんだ…随分と弱腰じゃねぇか?」
「だって、この位置…以前先生がオペして、でも後遺症が残ったっておっしゃってた、あのピアニストの方の時とほぼ同じじゃないですか?」
昔、アメリカで大野は有名なピアニストのオペをした。脳腫瘍だった。病巣は脳の奥深くに食い込んでおり、全て取り除くのは不可能だとどの病院にも断われたと言って、その患者は大野の元を訪れた。結果彼の手により病巣は全て取り除かれたのだが…左手に麻痺が残り、数々のコンクールで優勝を果たしたピアニストは引退を余儀なくされたのだ。
「ああ…よく覚えてるなぁ…」
瑠唯は自分の行なったオペの記録を詳細に残す。更に大野を始め他の医師から聞き及んだオペの情報も記録している。そしてそれらをほぼ完璧に頭に叩き込んでいるのだ。正に血の滲むような努力で…
「何の因果かなぁ?この患者の希望は後遺症を一切残さずオペによる病巣の完全除去だ。」
「後遺症を一切残さない…ですか?かなりハードルが高いですねぇ…何か理由が?」
「職業上の問題だ?」
「何の職業を?」
「…外科医だ…」
そこで瑠唯は大野の顔を見て何かに気付く。そして青褪める。
…ま、まさか…
「先…生…まさか…これ…」
「ああ…俺の頭の中だ!」
瑠唯は絶句する。息を止めたまま
…身動き一つ出来なかった。
真理子の容態である。
先日美香から自力で立っていられる時間が増えたと嬉しい報告もあったのだが…それに引き換え真理子の身体は日に日に衰えをみせていた。最近は一日中寝て過ごす日も増えている。
「真理ちゃん…具合、どう?」
「あっ、瑠唯先生…」
うつらうつらしていた真理子が瑠唯の声で目を覚ます。大好きな先生の回診に薄っすらと笑みを浮かべた。
「あっ…起こしちゃった?」
「ううん…いいの…昼間あんまり寝てばっかだと、夜眠れなくなっちゃうから…」
…嘘だ…最近は、昼となく夜となく寝ている時の方が多いのだ…それでも瑠唯の回診が嬉しくて…
「先生…最近忙しそう…ちゃんとご飯食べてる?」
「真理ちゃん…それ、私のセリフだから…」
「あっ、そうだね…」
と力なく笑った。
「私は大丈夫だよ、それより真理ちゃんは?少しは食べられた?ジュース飲むんでもいいよ。」
彼女は微かに首を振り
「食べたくないの…無理に食べると直ぐはいちゃうし…」
「飴…食べる?」
「今は…いい…でも後で食べたくなるかもしれないから一つちょうだい。」
「じゃあ…ここ、置いとくね。」
瑠唯は白衣のポケットから飴を一つ出すとベット脇のテーブルに置いた。そこへ真理子の母親が炊事場から戻って来た。
「あっ…先生…何時も真理子がお世話になってます。」
「お母さん…如何ですか?真理ちゃん…」
「今日は朝からあまり調子がよくないようで…」
「毎日暑いですからねぇー誰だってグッタリですよ。お母さんも体調気を付けてくださいね。私も今真理ちゃんに、ご飯ちゃんと食べてるかって聞かれちゃいました。」
「まあ…真理子ったら、先生にそんな事…」
「それだけ真理ちゃんが優しくて思いやりがある子なんです。」
「先生…」
そんな話しをしているうちに、真理子はまたスゥっと寝てしまった。その寝顔を見て母親が聞く。
「先生…真理子は、後どのくらい…」
「お母さん…少し外で話しましょうか?」
人気のない談話室で、瑠唯は真理子の母親と向き合って座った。
「お母さん…真理ちゃんとっても頑張ってますよ。今は、食事も出来なくて体力がないから眠っている時間が長くなっていますが、もう少し涼しくなってまた少しでも食欲が戻るようなら今より元気になると思います。」
「本当に…そうなるんでしょうか?真理子はもうこのまま…」
「お母さん…今は未だ、諦めないでください!だって真理ちゃん自身が未だ諦めずに戦っているじゃないですか?それなのに私達が諦める訳にはいかないでしょう?私は真理ちゃんが諦めない限り治療を続けます!だから…お母さんも諦めないで下さい。」
「はい…はい…先生…ありがとうございます。真理子を宜しくお願いします。」
そう言って母親は瑠唯に頭を下げた。
夕方、ナースセンターにいた瑠唯に大野から内線が入る。
『原田…今ちょっと時間あるか?よければこっちに来い!話しがある。』
「はい…直ぐ伺います。」
瑠唯が大野の部屋をノックする。大野は院長から特別に私室を与えられているのだ。
「原田です。」
「おお…入れ!」
「失礼します。」
瑠唯が部屋に入ると大野は数枚のMRI画像を見ていた。
「脳腫瘍…ですか?」
「ああ…」
「随分、嫌なところにありますねぇー先生、オペされるんですか?」
大野は黙ったまま画像を見つめて何も言わない。そして、徐に口を開くと
「お前に頼みたい。」
「は?私にですか?」
「ああ…お前にオペしてもらいたい。」
瑠唯は暫く考え込み
「ちょっと厳しいかと…仮に取りきれたとして、後遺症は免れないかと…放射線療法は?」
「なんだ…随分と弱腰じゃねぇか?」
「だって、この位置…以前先生がオペして、でも後遺症が残ったっておっしゃってた、あのピアニストの方の時とほぼ同じじゃないですか?」
昔、アメリカで大野は有名なピアニストのオペをした。脳腫瘍だった。病巣は脳の奥深くに食い込んでおり、全て取り除くのは不可能だとどの病院にも断われたと言って、その患者は大野の元を訪れた。結果彼の手により病巣は全て取り除かれたのだが…左手に麻痺が残り、数々のコンクールで優勝を果たしたピアニストは引退を余儀なくされたのだ。
「ああ…よく覚えてるなぁ…」
瑠唯は自分の行なったオペの記録を詳細に残す。更に大野を始め他の医師から聞き及んだオペの情報も記録している。そしてそれらをほぼ完璧に頭に叩き込んでいるのだ。正に血の滲むような努力で…
「何の因果かなぁ?この患者の希望は後遺症を一切残さずオペによる病巣の完全除去だ。」
「後遺症を一切残さない…ですか?かなりハードルが高いですねぇ…何か理由が?」
「職業上の問題だ?」
「何の職業を?」
「…外科医だ…」
そこで瑠唯は大野の顔を見て何かに気付く。そして青褪める。
…ま、まさか…
「先…生…まさか…これ…」
「ああ…俺の頭の中だ!」
瑠唯は絶句する。息を止めたまま
…身動き一つ出来なかった。