一日限りの恋人のはずが予期せぬ愛にくるまれました
仕事の一貫だから。食事だけだから。
 自分を落ち着かせようとするが、動悸はおさまらない。
 つるっとした大理石の柱のロビーを通り抜け、エレベーターに乗る。ガラスの壁で囲まれたそこからは、上るにつれて景色がよく見えた。
 エレベーターを降りると、赤茶の絨毯が敷かれた廊下があった。
 壁はやはり白い大理石。
 重厚な雰囲気にのまれ、びくびくしてついていく。
 予約してあったらしく、すんなりと窓際の席に案内された。
 店内は間接照明の落ち着いた雰囲気だった。濃いベージュの絨毯に磨かれた木の壁。ところどころに観葉植物があり、さりげなく席と席を隔ててある。私が友達と行くようなごみごみしたレストランと違い、空間をゆったりと使ってあった。
 席に着くと、綺麗な夜景が見えた。
 わずかに残照の残る紫紺の空。ビルの灯り、住宅の灯り、街灯の灯り、車の赤いブレーキの列。規則的なようでいて不規則な並びの、人の営みの証の光。
 思わずうっとりと眺める。
「気に入ってもらえたようだ」
 満足そうな声に、ハッと我に返る。
「メニューは……慣れていないようだから、任せてもらっていいかな。苦手な食材はある?」
「大丈夫です」
 おどおどと答える。
「そんなに怖がらないで」
 小手鞠さんは困ったような笑顔を見せた。
「最初は余裕がなくて君を驚かせたな。悪かった」
 素直な謝罪が意外だった。
 彼は食前酒にシャンパンを選び、メインに合うワインを選び、料理を注文し、私に向き直る。
 ただそれだけでドキッとした。
「俺に敬語はいらない。むしろ使わないでくれ」
「ですが……」
「なら、それも業務のうちだと思ってくれ」
「わかりました」
 私の答えに、吹き出した。
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