一日限りの恋人のはずが予期せぬ愛にくるまれました
 辻谷さんの言い分にもぞっとした。私を観察していたのかと思ったら寒気がする。
「私は今でもチョコレートが好きです。髪はただの気分転換です。仕事におしゃれは必要ないから地味にしているだけです」
 本当は鮫島さんへの反発からだ。
「昨日もチョコレート食べました。チョコレート大好きです。これからチョコレート買って帰ります。では」
 辻谷さんをふりほどいて私は小走りに駅に向かった。
 あの人のどこに惹かれたのか、今となってはわからない。
 コンビニでチョコレートを買った。
 明日からおしゃれしよう、と心に決めた。

 決心は簡単に崩れた。
 久しぶりすぎておしゃれがわからなかった。
「この夏はジューシーカラーでフレッシュに!」
「こなれカジュアルでデイリーにコーディネート!」
「グレイッシュで甘すぎず洗練スタイリング!」
 ネットでファッション情報を見て、なんの呪文だ、とくらくらする。
 とりあえず次の休みに美容院に行こう。
 そう思いながら出社した。
 辻谷さんは朝礼後、逃げるように外回りに行った。
 鮫島さんは出勤していたが、予想通り書類作成の仕事を投げて来た。
 いっそ休んでくれたら良かったのに。
 辻谷さんがいないせいか、彼女はほかの男性社員に頻繁に話しかけていた。男性社員は鼻の下を伸ばして話につきあっている。
 仕事しないばかりか人の邪魔をして。相手にする方もどうかしてる。
 いらいらしながら仕事をした。
 午後になると鮫島さんは「予約でぇ。外で待ち合わせですぅ」と出て行った。
 通常、お客様と外での待ち合わせはしない。
 何をしに行くのやら、とあきれた。でも、いないほうが仕事が進む。
 と思ったら、めんどくさい常連の渡辺さんが来店した。彼女はいつも予約なしで来る。
 よれたブラウスに毛玉のできたカーディガン、しわの寄ったスカート、はげた合皮のバッグ。まるで変装のような濃い化粧。いつもそんないでたちだ。
 カウンターに案内し、用意していた物件を見せる。
 彼女の希望の安い賃貸なのだが。
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