傾国の落日~後宮のアザミは復讐の棘を孕む

三、幽囚深宮

 着の身着のまま皇宮へと連れ去られて、紫紅は心ここにあらずだった。
 すでに夕闇が迫りつつある。伯祥は、今どうしているのか。再び、彼に会うことはできるのか――
 後宮に行くのならば都大路を北上することになる。以前は伯祥と二人で向かった道を、護送されるように一人辿る。
 馬車が止まり、隣の徐公公が扉を開けてまず降りる。夕暮れ色に染まった光が馬車の中に差し込んできた。
「ここで降りてください」
 徐公公の大きな手が差し出され、紫紅は腹を括ってその手を取る。そうして暗闇から引きずり出された。 
 ギギ……と軋む音が聞こえる。顔を上げると、目の前に迫る皇城の門の門扉がゆっくりと開かれていく音だった。
 中央の巨大な門扉は皇帝専用で滅多に開かれないが、脇にいくつも並ぶ門扉もまた、十分な大きさがある。紫紅の目の前で、鉄の鋲を打ち付けた巨大な扉が重々しく開かれる。
 宮中と市井を隔てる巨大な門。ひとたびあの門をくぐったら、きっと容易に出ることはできないだろう――
 紫紅はぐっと唇を噛み締めた。
 門外にはすでに箱型の輿が待っていて、紫紅はそれに乗るように指示される。やはり窓に黒い布がかけられ、外は見えない。ふわりと輿が持ち上がって規則正しく揺れ、どこかへ向かっていく。背後で門の閉じる音を聞きながら、紫紅はただ目を閉じ、夫の無事を祈った。

 輿は迷路のように何度も向きを変えて進み、紫紅が行先を考えるのを諦めたころ、ようやく担ぎ手が歩みを止めた。ゆっくりと降ろされ、前の垂れ幕が開かれる。そこは、回廊に囲まれた、小さな石畳みの院子(なかにわ)だった。
 徐公公が差し出す手を、紫紅は一瞬、躊躇する。だがが、仕方なくその手を取り、輿から降りた。
 背後の小さな門の奥には丹塗りの壁が見えた。松と(くすのき)が植えられ、石灯籠がはやり二つ、左右対称に並ぶ。どちらにもすでに灯が入れられて、夕闇の迫るあたりをぼんやりと照らしていた。
「……ここは?」
掖庭宮(えきていきゅう)の一角でございます」
 つまり、皇帝の夫人たちが住む、後宮であった。
 紫紅は無意識に、首元に下げた璉項(ネックレス)の白玉を握りしめる。
「主上がお待ちでございます」
 長い柄のついた燈篭を捧げた若い宦官が言い、徐公公が頷いて、紫紅を促した。
「さ、奥に参りましょう」
 紫紅はゴクリと唾をのんで、大きく息を吐く。
 ――この奥で、皇帝が待っている? わたしを? そんな、馬鹿な――
 宦官たちに先導されて、丹塗りの柱の並ぶ回廊を進んでいく。今、自分の運命が大きく変わっていく岐路に立たされている。昨日までの平凡で穏やかな日々が、まるで夢のよう。
 この先に待っているのは、地獄か、それとも――
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