桜ふたたび 後編
ジェイはゆっくりと瞬きをした。澪を見つめる瞳が、苦しそうに揺れた。
「……なぜ?」
「……わたしが幸せになろうとすると、必ず誰かが傷つく。きっと、母が、わたしを利用してひとを傷つけてきたからです。
だから、望んではいけない。望めば……失う……」
澪は自分に言い聞かせるように言った。
「澪は、不幸なことが喜びなんだ」
いきなりの極論に、澪は面食らった。
「目の前の幸せを、必死に掴みに行くことが、浅ましいと思っているんだろう? 不幸で可哀想な自分のほうが尊いと思っている」
「そんなことありません」
「誰もが幸せになろうと努力しているのに、澪は不遜だ。誰かが幸せになれば、その陰で多かれ少なかれ不幸になる人間はいる。どうせ傷つけるのなら、傷つけた分幸せになればいい。それが相手に対する礼儀だ」
一瞬、沈黙が落ちた。
「それを中途半端に譲ろうとするから、誰も救われない」
それから、低く、刺すような声で、
「結局、澪の自己満足なんだ」
有無を言わせない口調、本気で怒らせてしまったみたい。こうなると澪は抗弁すらできない。
「恰好つけてるんだよ、澪は。いつも人の目ばかり気にして、誰にも本心を明かさない。強情で、嘘つきだ」
「嘘なんて──」
「信じると誓ったのに、少しも信じていない」
「……」
「澪の〝信じる〞は、〝信じる〞ではなく〝信じたい〞だ。いつでも裏切られたときを想定して、自分の傷が深くならないように準備している。だからすぐに弱気になって、独り善がりに諦めてしまう」
「……」
「澪……」
声のトーンが下がった。
瞳は暗い夕闇の色をしていた。
「今回の縁談を仕組んだのは、マティーだ。彼女は……澪との結婚を反対している」
当然だと、澪は頷いた。
あのカトレアのような高貴な女性が、野辺の草を嫁と認めるわけがない。
ジェイは澪の考えを読んだように、首を振った。
「君が、日本人だから」
あっと、澪は両の手で頬を覆った。
なぜこんな重大事に気がつかなかったのだろう。
ナターレでの彼女の態度。ジェイが桜の下で澪に実母の面影を見たように、この容貌が、彼女の古傷を抉ったのだ。