桜ふたたび 後編

突然、目の前の人壁が、幕を引くように左右に割れた。
モーゼが海を割ったが如く、そこにはアブドラとクリスの姿があった。

『見つけましたよ』

アブドラは、雅やかな笑顔を湛えて言った。

『おお、そちらが噂のフィアンセですか』

サーラは可憐に膝を折って応えた。

淡いモスグリーンのソワレは、花びらをモチーフに胸元がカッティングされ、ビスチェにはパールの花心のツルバラが、トレーンには蔦柄が、美しく刺繍されていた。
ところどころにあしらわれた薄青と白の羽根が、彼女の動きに併せてふわり、ふわりと揺れる。まるで、秘密の花園に棲む青い鳥のように。

『妹のルナです』

優雅なカテーシー。
こちらは、フロントが臍までざっくり開き、サイドラインにレザー紐の編み上げをあしらった、美しき黒豹のようなソワレ。

[サーラ、こちらはシェイク・アブドラとクリスティーナ・ベッティ。ご紹介が遅れましたが、彼はリチャード。殿下とは古くからのご友人です]

すみれ色の瞳とモスグレイの瞳が、引き合うように見つめ合ったと感じたのは、ルナの思い違いか。

『妹御といい、ガールフレンドといい、フィアンセといい、あなたの周りは、美姫揃いだ』

嫌みなく言って、アブドラは気品ある笑い声を立てた。

『ところで、白熊は見ましたか?』

『予定どおり、シリウスが機嫌をとっています』

ジェイの視線の先を確認したアブドラが、ふっと口元を歪めたように見えた。

──何?

ルナは目をこらした。

ふたりが見つめる先にいたのは、禿げた鷲鼻の男。
厚い胸板を反らし、ウォッカをあおる姿は、恰もマフィアのドンだ。
目の下が薄黒く弛んだ眠たそうな瞼。その奥で、鋭い眼光がこちらに向かって発せられている。

隣には、黒々とした髪を几帳面に整えた五十年配の東洋人。
なにやらしきりと耳打ちしている。銀縁の眼鏡を中指で上げては、三白眼が生臭い笑いを浮かべた。
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