桜ふたたび 後編
❀ ❀ ❀


タクシーの車窓に、マンハッタンの街並が流れてゆく。
ショーウインドウに反射した光が、規則正しくジェイの瞳に映り込んでいった。

光の中を行き交う人々は、生命力に満ち健康的に見える。
けれど、一歩、薄暗い路地に足を踏み入れれば、誰もがどこか病んでいる。

この街は、現代社会の縮図だ。
病巣を抱えていながら、症状が慢性化して、痛みに麻痺している。

ジェイもまた、最近まで、己の心の病に気づかなかった。

巨大なビジネスビルが視界に現れたとき、スマホが震えた。
ジェイは静かに頷いて電話を切ると、『Check.』と思わず声にした。

──もうすぐ、澪に逢える。

昨年の一連の事件は、盗聴やハッキングへの対策不足にあった。
それを逆手にとって、今回のプロジェクトは進められてきた。
少しでも疑われれば、すべて水の泡。
そのために彼は今、最も大切なものを犠牲にしているのだった。


❀ ❀ ❀


タクシーを降りたジェイは、足を止め、目前のビルを見上げた。

雲を映す無数の窓の向こうには、今日も何万人というビジネスマンたちが生きている。
民主主義という〝自由と平等〞の理念を声高に唱えながら、〝カジノ資本主義〞という競争原理で、超格差社会のパララックスを創っているのだ。
一攫千金。金を得た者だけが、すべてにおいてヒエラルキーの頂点となる。

──勝つことだけが望みか? 君たちも寂しいな。

そう笑って戻した視線が、エントランスから出てきた男に止まった。

相手もこちらに気づき、近づいて来る。

サーラ・デュバルとの破談以降、兄弟が顔を合わせるのは、初めてのことだった。

『元気そうだな』

エルの後ろに、アタッシュケースを下げた女が、愛想なく立っていた。

顎を引き目線を下げているが、メガネの奥からつと上目遣いに向けたグリーンアイは、気性が激しそうだ。スパイシーで独特なハーバルノート。黒髪に染めているが、大柄でりんご型の体型は、アイリッシュ系だろう。

──しかし、これだけ側近をコロコロ替えると、セキュリティもあったものではないな。

『あなたも』

エルは片側の口端を上げて嗤った。
いつもの皮肉な笑いだが、どこか引っかかる。 

『何か?』

『いいや』

ねっとりとした口調。

瞬間、頬に緊張が走ってしまった。
しまった、と思ったときには遅かった。

すれ違うエルの横顔に、満足げな笑みが浮かんでいる。

──まさか?

ジェイは表情を硬化させ、振り返った。

──Cross-Checkか。
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