桜ふたたび 後編
ようやくアランは、大きく舌打ちをし、スマートフォンを取り出した。
相手はなかなか出ない。ようやく繋がった電話に、焦りを抑えた低い声で言う。
[メルはどうしている?]
〈─〉
[ジェイがカールを押さえている。メルの名前を聞き出した。そこがばれるのも時間の問題だ。いますぐ、メルを連れてアパルトマンへ移れ]
電話の向こうで、女の高笑いがした。
〈─〉
[それは最後の切り札だ。今は、女に手を出すな]
〈─〉
[死なれるのは拙い]
〈─〉
[女にこう言うんだ。〈お前が死ねば、ジェイを殺す〉とな。何としてでも食事を摂らせろ。拒むなら、薬で眠らせてから点滴を使えと指示するんだ。いいか、絶対に、行動は起こすな。追跡される]
〈─〉
アランは電話を切ると、目の前の食事にむしゃぶりついた。
焦燥が脳を焼き、口だけが勝手に動く。飢えているのは腹ではなく、敗北と嫉妬にまみれた空虚な欲望だった。
一頻り食べて、アランはごくごくと喉を鳴らして水を飲み干した。
[だから、用済みは始末しておけと言ったんだ……]
その呟きは、数十メートル離れた場所で、イヤホンを外す男の耳にも届いていた。
──ダメか。
ジェイは、盗聴器のスイッチを切った。
女のアジトに澪はいない。そのうえ、澪の体調は極めて悪い。
せめて、監禁場所のエリアさえ特定できれば──頭の中で何度も会話を思い返し、推理を試みたが、ヒントは一つも隠されていなかった。
目の前を黒い鴉が横切り、何かを咥えて飛び去っていく。
ジェイは長く息を吐き、静かにエンジンをかけた。
その背に、復讐と執着の煙がゆらりとついてまわっていた。