桜ふたたび 後編

澪を救うには、アランに屈するしかない。

荒唐無稽な依頼を、シェイク・アブドラは即諾した。
彼にとってジェイのいないAXなど、興味の対象ではなかったのだ。

それに、AXと言う母船が傾く前に、信用を失墜したJ&Aは沈没する。
そうなれば、ジェイはスタッフを守るため、SAMに進退を預けるしかない。──アブドラは、それを待っていた。

アランの身柄の保証は、フィリップ・ド・デュバルがフランス政府に手を回している。
エルにも自責という思考はあるらしく、今回ばかりは静観を貫いている。
しかし、双方ともそう長くは保たないだろう。

『そういうことだ。みんな……すまない』

そう言って静かに頭を垂れたジェイの横顔に、黒髪が影のように落ちた。
彼の眼差しには、怒りも悔しさもない。ただ、深い諦念だけが漂っていた。

固まった視線のなかで、ジェイは静かに席を立ち、部屋を後にする。
誰も引き留める言葉を忘れていた。

彼の謝罪する姿を初めて見たのだ。
あのジェイが──ディベートの達人が──M&Aの魔術師が──
一言の言い訳もなく、頭を下げた。

唖然と声を失うスタッフのなかで、最初の声を発したのは、ウィルだった。

『……まんまとやられたな』

一斉に溜息が漏れた。

『狂ってる! 何とかしてくれ!』

取り乱したカルロスに、ウィルは嘲るように嗤った。
勝ち馬に乗り続けているうちは率先して強気だが、一度軌道を外れると臨機に欠け、逃げ足だけは速い。強欲な仕手師の本性を顕した。

『不可能だわ』

リンがきっぱりと言った。

カルロスは「ンン」と咳払いして、なおも食い下がる。

『君だって、AXのストックオプションを保有しているだろう? 生活がかかっているんだぞ!』

リンはスンと澄ました顔で答える。

『そうね』

『な、何だ! もういい! こんな情けない奴らを頼りにした私がバカだった』

青白い顔を赤くして出ていくカルロスに、ウィルはやれやれと後頭部を掻きながら言った。

『カルロ~ス、俺の仕事を増やさないでくれよ。たとえジェイの身内にでも、守秘義務は守秘義務だ』

カルロスはさっきより激しい態度でドアを押したが、扉は動かなかった。彼は怒りを込めて扉を蹴ると、つま先の痛みを堪えて思い切りドアノブを引いて出て行った。
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