桜ふたたび 後編
『だってね、あの男、カポダンノパーティーで再会しても、こちらのことなどまったく覚えてなかったのよ。私は忘れたことなんてないのに……」
キアラはふと遠い目をして笑った。
『せっかく用意した幻覚剤入りの花束も、渡すチャンスがなくて。だから、クリスティーナ・ベッティにプレゼントしたの。まさか、他の女と抜け出してたなんて、残念だったわ。
そのとき捕まえた男を使って、暗殺させようとしたけど、これも失敗。──やっぱり、人任せはだめね』
──こんな恐ろしいことを笑い話のように告白するなんて、狂ってる。
『まぁ、そんな顔しないで、かわいそうな子うさぎちゃん。恨むなら、人殺しのあの男を恨みななさい』
『人殺し……?』
『そう、あいつは目的のためならどんな手段も厭わない。自分では決して手を汚さず、人の心を操って、利用して、平気で裏切る。その道を選んだ自身の罪だと、言いたげに』
澪は、ジェイが社会で何をしているのか、どんな評価を受けているのか、知らない。
いや、本当はわかっていた。彼の成功の陰には、踏みにじられた存在があることを。
〈勝ちすぎた者は、必ず負の感情を向けられる。この世で一番怖いのは、人間のおそれからくる妬心〉
涼子の言葉は、人間社会の真実だ。
〈彼は常に勝ち続け、飛び続けなければなりません。羽を休めてしまったら、失速して墜ちてしまいます〉
そして、リンの言葉は、ジェイの真実だ。
『心を持たない男だから、あなたのことも見捨てるかもしれないわよ』
キアラはメスを持つ手つきで、澪の胸の上を十字になぞる。
『そのときには、子うさぎが死んでゆく映像をプレゼントしてあげようかしら。己の選択が招いた結果だと、一生忘れられない後悔を味わえばいい』
キアラは、澪の命を盾に、ジェイに復讐しようとしているのだ。
その前に、ここから脱出しなければ。
澪はリングの代わりに、ルナのペンダントを握りしめた。
──自分が信じてきた人を、今度は自分の手で守る。いのちに代えても絶対に、ジェイを守ってみせる。
湖の対岸の森の上から、ダイヤモンドのような太陽が現れた。
光彩に澪はぎゅっと目を瞑った。
──主よ、お守りください。