桜ふたたび 後編
『私の情報提供で、あなたたちの優位に運んだのに、何の見返りもないどころか、解雇なんて、馬鹿げてる!』
リーアムの怒声に、返ってきたのは天からの下知のように響く冷たい声だった。
『Sir.オサリバンの主義思想は、この契約に関係ない』
リーアムは反発しようと口を開いたが、声が喉に詰まったように静止してしまった。
冷然と向けられた氷のような瞳に、明らかに威圧されている。
『リーアム……いや、ラリー』
馬面が、ペンを弄びながら、人を食ったような笑みを浮かべる。
『そちらのご令嬢と婚約中だそうだが、アトランタにいる奥さんとは話がついたのか?』
『な、何を言ってる!』
荒げた声の大きさが、誰の目にも狼狽をごまかすためにしか映らない。
馬面は、両手を組んでゆっくりとやや前屈みになり、まるで調書を読みあげるように、低く語りはじめた。
『君の本名はラリー・オーサー。英国系カナダ人で、父親はプロテスタントの牧師。
学生時代の成績は優秀だったが、勤務していたフィンテック企業が倒産──ついてない。それから八年、無職だった君がどうやって贅沢な暮らしをしていたのかは不明だが、なぜか一年前、妻と十歳の息子を残して失踪。
我々との交渉を望むのなら、先に清算すべき過去があるんじゃないか?』
そこから先の記憶は、黒板消しで消したようにジグザグに飛んでいる。
衝撃的な展開に記憶を喪失したのか、本当にあっという間の出来事で書き込みが追いつかなかったのか。
覚えているのは──
キアラを侮辱し、カソリックを嘲弄したリーアムの悪魔のような唇。
猟銃を彼に向け、憤怒に血走った父の目。
父を制止しようと叫ぶ男たちの声、姉の悲鳴──。
目を瞑っても、否が応でも瞼の裏に甦るのは、庭に横たわる父の体だ。
ゆすぶった体はまだ温かく、ただ不自然に曲がっていた。
カッと見開いた目は、飛び降りた窓を睨んでいる。
赤い血が、青々とした芝生にじわりと広がっていった。
とりすがる体を引き剥がされ、悲しみを自覚するひまもなく、わけもわからぬ感情に泣き叫んでいたシアーシャは、ようやく人々で錯乱する視界の中に姉の姿がないことに気づいた。
嫌な予感が、背筋を走る。
駆け戻った部屋で、シアーシャが見たものは──
婚約者の血溜まりの中で、頭のほとんどを失った彼の傍ら、血に染まったドレスのまま呆然と銃口を胸に向ける姉の姿だった。