桜ふたたび 後編
『わかりました。視察は現地の者を向かわせます』
『あなたが行きなさい』
サンルームの向こうの青芝だけの庭に目をやり、感情のない声で下知するマティーに、ジェイはあえて訊ねた。
『私が行く必要があるとは、思いませんが?』
『プロジェクト再開の条件は、言わなくてもわかるだろう?』
──そういうのを、日本では蛇足と言うのだ。
ジェイは、エルの存在を視界から排除した。
『今回のことは諦めてください。私には、結婚を約束した女がいます』
『あなたがAXに与えた損害を、どう償うの?』
エルが、存在感を誇示しようと口を挟む。
『まさか、今後の仕事で返すなどと、青臭いことを言うんじゃないだろうな? やめてくれよ。
落ちたイメージを払拭するには、話題性というスパイスが必要だ。AXグループとロイヤル・シェルグループとの提携を、アルフレックスの息子とデュバルの娘の結婚で、華やかに飾ってくれ』
『できません』
一拍の沈黙が、部屋の空気を凍らせた。
食器の音とともに、卒然とマティーが席を立った。
何事かと見つめるジェイに、彼女は腹の底から突き上げるような声で、言った。
[ジェイ、彼女との結婚は許しません]
これまで一度も見せたことのない、感情的な熱。
氷の仮面の下に、こんな溶岩のような怒りが隠れていたのかと、ジェイは言葉を失った。
[一ヶ月後、サーラと婚約してもらいます。どうしても彼女と別れられないと言うのなら、愛人になさい。フェデーのように]
テーブルを叩くほどの沈黙があった。
そして、まるでハイドがジーキルに戻ったように、マティーはいつもの氷の表情でドアへ向かって歩き出した。唖然とするジェイを、一目することもなく。
音もなくドアが閉まる。と同時に、胸に書類が叩きつけられた。
『諦めろ。その女のためにも』
中身を見なくても直感した。
思わず書類を握りつぶしたアースアイに、隠しきれない動揺が走った。
『お前が動くたびに、盤面が整っていく。……いい駒だよ、実に』
エルの勝ち誇った顔に、ジェイは目を瞑り奥歯を噛みしめた。
──やられた。