桜ふたたび 後編
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傘を開いた澪は、ふっと自嘲した。

──サロンなんて、なんの役にも立ってない。

自己啓発どころか、ますます自信喪失するばかりだ。

〈コンプレックスのない人間はいません。短所をいかに長所へ転換させるか、それが肝要なのです。もっとご自分に自信を持ちなさい〉

マダムはそう諭すけど、澪に自信を持てなど無茶な話だ。

澪は、親から褒められたことがない。
いい成績をとることは当たり前。家事も完璧にできて当たり前。お行儀のいい子だと言われて当たり前。
少しでも失敗すれば、怒鳴られ折檻された。

璃子への対抗意識が長じてか、母の要求は高くなるばかり。どんなに努力しても、いつも不出来を詰られた。
父が帰って来ないのも、佐倉の親戚縁者から除け者にされるのも、町内会のおばさんから文句を言われるのも、澪が期待通りにできないせいだ。

だから、他人がどんなに褒めてくれても、素直に受け取れない。自信になどつながらない。

それに、〈主体性を持て〉〈社交性を磨け〉と言われても、性格はそう簡単に変えられるものではない。
上辺だけ上品になっても、しょせん付け焼き刃。あちらの世界の方々には、見透かされるに決まってる。

──ああ、もうやめたい!

身の丈に合った穏やかな生活は、どこへ行ったのだろう。
上京してから次から次へと思い煩うことばかり。一時も心が安まらない。

〈ジェイのため〉と気持ちを立て直してみても、肝心の彼はもう一週間も音沙汰なし。
以前なら、寂しさも理不尽も我慢できたのに、どんどんわがままになっている。

そのうえ、〝逆プロポーズ〞なんて大それたことをしでかして、自分で自分の首を絞めたとしか言いようがない。

高速で書き換えられてゆく情報についていけない。
頭の中で、不平や、不満や、不安がざわざわしている。
だから、正常な判断ができていない。

「ヨッ!」

いきなり背後から声をかけられて、澪は悲鳴をあげそうになった。
黒い傘を背景に、辻が笑みの花を咲かせていた。

「気持ちが通じたのかなぁ。たまらなく君に会いたかった」

──このひとは、言葉が素直だ。

辻が羨ましい。
茉莉花たちと話していると、言葉に裏を感じていちいち神経を使って疲れる。
マダムや葵は、言葉が高尚すぎて滅入ってしまう。
ジェイはすぐに言葉をはしょって結論だけを言うから、ついていけずに混乱してしまう。

そして澪は、自分の言葉を持たない。だから、誰ともうまく噛み合わない。
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