桜ふたたび 後編

6、魔王の歌

いつもは森閑とした廊下に、言い争う声が響いている。
不安げにドアへ向かうEA(エグゼクティブアシスタント)を横目で見やり、エルモは人差し指で鼻の横を掻いた。

『エル!』

いきなりドアが乱暴に開け放たれ、ドアノブに手をかけかけたEAの顔面を直撃した。鼻を押さえて蹲る彼の横で、ルナはまだ警備員と格闘を続けている。

『放しなさい!』

電撃のエルボースマッシュが警備員を襲った。まともにアッパーを食らった男は、ふらふらと蹌踉めいた。

元々が悍馬だ。そのうえ誘拐予防のため幼い頃から一通りの護身術を身につけている。さらに、無政府地帯で常に危険と隣り合わせの日々を送っているのだから、そこらの男よりはよほど強い。

エルモは仕方なく、妹に取り縋る警備員たちを邪魔くさそうに手で払った。
犠牲者の心配よりも、コレクションを傷つけられたら堪らない。ジェイが冷笑するポスト・ペインタリー・アブストラクション(抽象主義の絵画)や、グロテスクとしか表現のしようがないオブジェの数々に混ざって、エジプトや古代中国のコレクションまで、オークションに出品する値打ちものだ。

それらに損害がないことを見届けて、エルモは机上の書類に視線を戻した。視界の先に、破れたシャツも振り乱した髪も整えることなく、ツカツカと突き進んでくるルナを見ながら。

『今、忙しいんだ。後にしてくれ』

ルナは机にパンと音をたて片手をつくと、兄の鼻面に向かって大きく体を乗り出した。

『時間はとらせないわ』

エルモは金無垢の万年筆を走らせサインをすると、ゆっくりと顔を上げた。

壁際で茫然としていたEAは、一瞬ビクリと体を強張らせ、ハンカチで鼻血を押さえながら恐る恐る近づいてくる。まるでライオンの前を横切るようにルナを警戒しながら書類を受け取ると、脱兎の如く部屋を出て行った。

あれはクビだな、と呟きながらドアが完全に閉まるのを確認して、エルモは言った。
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