宝来撫子はマリッジブルー
第九話 自分の力で
◯数日経った、夜九時を回る頃。
スーパーマーケット「ぜんきち」の店の前。
店の営業が終わって、従業員達はみんな「お疲れです」と言い合い、それぞれの家へと帰って行く。
撫子は店の前で、夜空を見上げている。
三角「星がキレイに見えますね」
撫子「はい。……もう、冬が近づいてるんですね」
三角「あぁ、そうですね。もうこの上着じゃ寒い時があります」
〈自分の着ている上着を見下ろす〉
撫子(冬が来たら……、すぐに春がやって来ちゃう)
(そうしたら私……)
三角「宝来さん、電車ですか?バスですか?」
撫子「あ、私は車です」
三角「え?車?」
撫子「あの、家の者が迎えに来てくれるから」
三角「そうなんですね。私はバスなんです。それでは、失礼しますね。お疲れ様でした」
丁寧にお辞儀をして帰って行く三角に、撫子も「気をつけてお帰りください」と、頭を下げる。
店の前でしばらく夜空を見ていた撫子に、「星、好きなんですか?」と声をかけたのは、柊。
撫子は柊のほうを見て、「はい」と頷く。
撫子「空を見ることが好きなんです。中でも、星は見ていて飽きません。特別です」
柊「いいですね、そういう気持ち」
撫子「……え?」
柊「好きなものがあるって、かっこいいです」
撫子はまっすぐな柊の眼差しと言葉に、嬉しくて思わず涙目になる。
それを悟られたくなくて、夜空を見上げる。
撫子「柊くんは、何が好きなんですか?」
柊「オレですか?」
〈考える仕草をする〉
「うーん、こんなこと言うの、恥ずかしいんですけれど」
撫子「?」
柊「……好きなものは、あるにはあるんです。読書とか、絵とか……。でも特別にこれ!って言える『好き』はまだ見つけられなくて」
撫子「そうなんですか?」
柊「はい。だから、それを探すために大学に行く感じです。……かっこ悪いですよね?」
小さく頭を掻いて、俯く柊。
撫子は首を振り、「そんなことないです」と、キッパリとした口調で言う。
撫子「いいんです。特別があろうがなかろうが、大切なのは、自分の意志だと思います」
柊「意志……」
撫子「自分の人生を、自分の力で決めることが出来るのは、きっと何よりも大変でつらくて、でも尊いことなんだと思うんです」
柊「……」
撫子「……あ、ごめんなさい。知ったふうなことを言ってしまいました」
柊「いえ、全然。オレ、今ちょっと感動しています」
柊がニッコリ笑ってくれて、ホッとする撫子。
◯その週末の、宝来家。
昼下がりで、気温が下がり、寒さを感じた頃。
一階にある図書室に入る撫子。
撫子(確か……、この辺りにあったはず)
背伸びして、本棚に手を伸ばす撫子。
手が届かず苦労していると、後ろから手が伸びて、目的の本を取ってくれる。
久光「はい、これ。星座の本」
撫子「久光……!ありがとう、取りにくくて苦労していたところよ」
久光「いつの間にか姉さんより、ずいぶん身長が高くなったよ」
撫子「そうね、小さかったのにね」
久光「まだ伸びるかな?期待しておこう」
おどけた口調で言った久光に、クスクス笑う撫子。
撫子「好きなの、星」
久光「うん。そうだよね?」
撫子「あら?知っていたの?」
久光はニコニコ笑顔で、「知っているよ」と言い、「そんなの、家族みんなが承知だよ」と、付け加える。
撫子「……私、大学に行きたかったわ。天文学は難しいけれど、行きたい大学には天文サークルがあって……」
久光「……」
撫子「だけど、受験も出来ないなんて」
久光「姉さん……、父さんや母さんに話してみたら?婚約の話をなかったことに出来ないかって」
撫子「無駄よ。父さんも母さんも、おじいちゃまには逆らえない」
久光「それでも言ってみなくちゃ。行動に起こさないと、現実には決してならないんだから」
久光が撫子に星座の本を手渡す。
本を受け取って、考え込む撫子。
◯その夜、宝来家のリビングルーム。
撫子の父親の宗久と母親のゆりが、ソファーに座ってワインを飲んでいる。
部屋の隅には羽鳥が立って控えている。
撫子がリビングルームの入り口で、「パパ、ママ、ちょっといい?」と、声をかけてふたりのそばまで近寄る。
宗久「何だ?」
撫子〈深呼吸をしてから、決心した顔つきになる〉
「早乙女 拓磨さんとの結婚の話、どうにか破談に出来ない?」
ゆり「えぇっ!?何を言っているのよ、撫子」
撫子「どうしても嫌なのよ」
ゆり「なぜ嫌なの?」
撫子「『なぜ』って……、性に合わないっていうか、あの人のことが嫌いなの」
宗久もゆりも困った顔を見合わせる。
宗久〈撫子を見て、妙に優しい顔つきになる〉
「嫌いっていうことは、少なからず彼に興味があるっていうことだよ」
ゆり「そうよ。興味がないなら無関心ってよく言うもの。嫌いって思えるってことは、パパの言うように興味があるんだから、いつか好きになる可能性だってあるわ」
撫子〈眉間にシワを寄せる〉
「何を言っているの?」
ゆりが立ち上がり、撫子の肩に手を触れる。
ゆり「ちょっと来なさい。ママと話しましょう?」
ゆりは撫子を連れて、リビングルームから近い、ゆりの自室へ行く。
ゆり〈チェストに置いている、豪華な装飾の施された箱からタバコを取り出す〉
「ねぇ、撫子。ママだってあなたの気持ちはわかるわ」
撫子〈入り口から部屋には入らないで、ドアのところで立っている〉「……」
ゆり「ママもパパとはお見合い結婚だったもの。親が勝手に決めてきたのよ。あなたと似ているでしょう?」
撫子「……」
ゆり「ママもパパとは最初、合わないって思い込んでいたわ。でも一緒に過ごす時間が、ふたりの関係性を変えてくれた」
手に持っているタバコに火をつけて、吸い始めるゆり。
ゆり「あなただってきっとそう。今は嫌いでも、いつか許せる。いつか好きになれる。それが人間よ。情があるもの」
撫子の身がのシワは深く刻まれたまま。
◯月曜日の放課後、スーパーマーケット「ぜんきち」の店の前。
アルバイトが終わり、空を見上げている撫子。
柊「お疲れ様です」
撫子「あ、柊くん!お疲れ様です」
しばらく黙って、空を見ているふたり。
撫子「……婚約者がいるの」
柊「……」
撫子「結婚したくないんですけど、家族のことを思うと、結婚したほうがいいのかも……しれないです」
柊「この間、お兄さんが言っていた話ですよね?」
空から柊に視線を移す撫子。
柊はまだ空を見ている。
撫子「どうして私、宝来家に生まれてしまったのかしら」
柊「……」
撫子「もっと自由に恋愛して、好きな人と結婚できる家の子になりたかったです」
撫子(こんな弱音みたいな、つまらない愚痴)
(本当は柊くんに話したくなんかないのに)
(……でも)
(聞いてほしくなったの)
柊「そんなこと、言わないでください」
撫子「……」
柊「宝来さんが宝来さんじゃなかったら、オレ達、もしかしたら出会えてないかも」
撫子「え?」
柊「公園ではじめて会ったことも、こうして『ぜんきち』で一緒にアルバイトしていることも、宝来さんが宝来さんだから叶ったことなのかなって思います」
撫子「……」
柊「オレ、宝来さんと会えて良かったし、友達になれて嬉しいんです」
撫子(柊くん……)
柊「……何言ってるんだろう?すみません、なんか意味不明ですね」
撫子「ううん、嬉しいです」
柊が空から撫子に視線を移し、目が合うふたり。
ニコニコ笑ってくれる柊に、撫子は(好きだなぁ)と思う。
撫子(柊くんと出会えたことは)
(人生で意味のあることにしたい)
(私は、私の力で)
(変えていかなくちゃ)
撫子「行動に起こして、現実にします」
ひとり呟いた宣言に、柊は「?」と不思議そうな顔。
その時、スマートフォンにメッセージが届く。
拓磨《今週末、食事会をしましょう》
《僕との結婚に向けて、話し合うことはたくさんあります》
《変な気を起こすなら、あの録音を彼に聴かせますから》
撫子はスマートフォンを静かに鞄に戻して、再び空を見る。
撫子〈ひとりごとで呟くように〉
「絶対に屈しないっ!」