【書籍化予定】ニセモノ王女、隣国で狩る
台所では侍女のカーラが、料理の続きをしてくれていた。
量の多い赤毛をきっちりと後ろでひとつにまとめ、小柄な体でテキパキと調理台の周りを機敏に動いている。
公爵との話を終えたアマリーは、台所の入り口でカーラを見つけ、驚いて足を止めた。
「カーラ。今日はもう帰ったのかと思ったわ。……勤務は五時まででしょう?」
アマリーの乳姉妹でもあるカーラは、ファバンク家が困窮しても見放さず、頻繁に 残業していた。
「知っていると思うけど、……残業代は出ないのよ」
心配して念を押すアマリーに、カーラは苦笑した。
「わかっています。――ご夕食がまだじゃないですか」
「料理を中断していたのよ。ちょっと、お父様に呼ばれて……」
「アマリー様、どうされたのです? お顔が真っ青ですよ?」
その言葉に顔を上げると窓に映った自分と目が合った。
そこには現実を受け止めきれていない、呆然としたひとりの娘が立ち尽くしていた。
(私がリリアナ王女の身代わりを務める……?)
確かにアマリーの母は王女ではあったが、アマリー自身は王宮にも数えるほどしか行ったことがない。肝心のリリアナ王女に会ったことがあるのは、たったの一度きり。
それなのに、身代わりなどバレずに果たせるのだろうか?
「カーラ。私ね、二億バレンのために隣国の王太子様を騙してくることになったの」
「そうでしたかぁ。それは……はいっ!? えっ? 今なんて?」
パンもチキンもアマリーの世話を待っていたが、とてもではないが料理の続きをする気になどならない。今夜の食事など、喉を通りそうもない。
(そもそも南ノ国に行くのすら怖いのに。その上リリアナ王女のフリをしなければならないなんて)
……だがやらなければ、両親やアマリーは、この屋敷を失うのだ。そうなれば弟のケビンは学院を卒業して寄宿舎を出たら、住む家がなくなってしまう。
この話自体があまりに突飛すぎて、頭の中が痺れたような感覚を覚える。
ただ、二億バレンという文字だけが脳内で異常な存在感を主張していた。
王女のフリをして祝典に参加するだけで、うまくいけば二億。
我知らずアマリーは唇を噛み、拳を固く握りしめていた。
その夜、アマリーは公爵夫人と抱き合ったり語らったりして、一時の別れを惜しんだ。
公爵夫人はメソメソと泣きながら、アマリーに対する謝罪の言葉を繰り返した。
「ロレーヌ、いつまで泣いているのだ。アマリーが困るだろう」
対する公爵は夫人を宥めたが、彼女は一向に泣きやまない。
「アマリー。美しいお前ならば、隣国のジュール王太子様もひと目で夢中にさせること間違いなしだっ!」
発破をかける公爵の顔をキッと睨み上げると夫人は言った。
「誰のせいでこうなったと……!?」
珍しく大きな声を出し、夫に意見した公爵夫人にふたりは驚いた。公爵は目を瞬くと、呆けたように静かになった。
アマリーを迎えに来たのは、黒塗りの馬車だった。目立たず王宮に入れるようにと選ばれた馬車で、アマリーはひっそりと公爵家を出発し、人知れず王宮に向かった。
こうして彼女はアマリー・ファバンクという名を一時的に捨てたのだ。
量の多い赤毛をきっちりと後ろでひとつにまとめ、小柄な体でテキパキと調理台の周りを機敏に動いている。
公爵との話を終えたアマリーは、台所の入り口でカーラを見つけ、驚いて足を止めた。
「カーラ。今日はもう帰ったのかと思ったわ。……勤務は五時まででしょう?」
アマリーの乳姉妹でもあるカーラは、ファバンク家が困窮しても見放さず、頻繁に 残業していた。
「知っていると思うけど、……残業代は出ないのよ」
心配して念を押すアマリーに、カーラは苦笑した。
「わかっています。――ご夕食がまだじゃないですか」
「料理を中断していたのよ。ちょっと、お父様に呼ばれて……」
「アマリー様、どうされたのです? お顔が真っ青ですよ?」
その言葉に顔を上げると窓に映った自分と目が合った。
そこには現実を受け止めきれていない、呆然としたひとりの娘が立ち尽くしていた。
(私がリリアナ王女の身代わりを務める……?)
確かにアマリーの母は王女ではあったが、アマリー自身は王宮にも数えるほどしか行ったことがない。肝心のリリアナ王女に会ったことがあるのは、たったの一度きり。
それなのに、身代わりなどバレずに果たせるのだろうか?
「カーラ。私ね、二億バレンのために隣国の王太子様を騙してくることになったの」
「そうでしたかぁ。それは……はいっ!? えっ? 今なんて?」
パンもチキンもアマリーの世話を待っていたが、とてもではないが料理の続きをする気になどならない。今夜の食事など、喉を通りそうもない。
(そもそも南ノ国に行くのすら怖いのに。その上リリアナ王女のフリをしなければならないなんて)
……だがやらなければ、両親やアマリーは、この屋敷を失うのだ。そうなれば弟のケビンは学院を卒業して寄宿舎を出たら、住む家がなくなってしまう。
この話自体があまりに突飛すぎて、頭の中が痺れたような感覚を覚える。
ただ、二億バレンという文字だけが脳内で異常な存在感を主張していた。
王女のフリをして祝典に参加するだけで、うまくいけば二億。
我知らずアマリーは唇を噛み、拳を固く握りしめていた。
その夜、アマリーは公爵夫人と抱き合ったり語らったりして、一時の別れを惜しんだ。
公爵夫人はメソメソと泣きながら、アマリーに対する謝罪の言葉を繰り返した。
「ロレーヌ、いつまで泣いているのだ。アマリーが困るだろう」
対する公爵は夫人を宥めたが、彼女は一向に泣きやまない。
「アマリー。美しいお前ならば、隣国のジュール王太子様もひと目で夢中にさせること間違いなしだっ!」
発破をかける公爵の顔をキッと睨み上げると夫人は言った。
「誰のせいでこうなったと……!?」
珍しく大きな声を出し、夫に意見した公爵夫人にふたりは驚いた。公爵は目を瞬くと、呆けたように静かになった。
アマリーを迎えに来たのは、黒塗りの馬車だった。目立たず王宮に入れるようにと選ばれた馬車で、アマリーはひっそりと公爵家を出発し、人知れず王宮に向かった。
こうして彼女はアマリー・ファバンクという名を一時的に捨てたのだ。