恋愛期限
よく分かりません。
 健斗君が日向さんとの話を終えたのはそれから五分位経った後の事だった。
 口に合わないアイスコーヒーをちびちびと飲みながらその通話が終わるのを待っていた私の隣にまた座りなおして、スマートフォンをソファーの上に放り投げる。
「悪い」
 会話を中断してしまっていた謝罪をして、健斗君は何事も無かったかの様に話を進めた。
「さっきの話の続きだけど」
 一泊間を置いて、私をじっと見て続けた。
「結論から言うと、無理。却下な。俺だってここまで来るのにそれなりに考えて必死に色々やって来てんのよ」
 はい、何かそちらもそちらなりに色々大変そうなのはとても分かります、と私はその点においては納得が出来た。
「それをそっち側の都合だけで全部無かった事にしろって言われてもこっちとしては簡単にはい分かりましたなんて言えないのは――分かるよな?」
 じろりとこちらを見ながら健斗君は淡々と、でも一気にまくし立てた。
「約束は約束。約束は守るのが普通。出来ない約束なら最初から軽々しくすんな。マジで思ってる以上に信用無くすから。結婚するって言った以上守れ。俺と結婚しろ」
 明快過ぎる発言だった。
 異論反論一切寄せ付けないと言いたげだ。
「で、でも、十三年だよ?あの時とは違うし、変わってるよお互い!」
 実際、健斗君だって昔とこんなに違う。私だって昔と変わってる所はあるだろう。
「ほら、健斗君すごい人になってるし!私なんかよりもっと綺麗で素敵な人いるよ」
「そりゃそーだろ。でも俺はお前がいいってだけ」
 あ、あれ?えーと、これ喜んでいいのか?
 とても複雑な気持ちになったけど、この際あえてその感情には蓋をする事にしよう、うん。
「だから、今の私の事なんて健斗君は分からないし知らないでしょ?今の私好きになるかなんて分からないでしょ?」
「だからこれから知っていくんだろ?」
 ――駄目だ。やっぱり駄目だ。この人の思考回路一体どうなってるの?
 もう反論する気力も失って、私はまた黙り込んだ。
「俺もそれなりにやんなきゃなんねー事あるから。さっさと済ませたいんだよ、次の休みいつ?」
「済ませるって?」
 何を?と私は顔に書く。
「引っ越しの準備あるだろ。全部こっちでお前の所の荷物とか適当に処分していいなら、別にそうしてもいいけど」
「い、いやそれは……」
 とっても困る。
 私は両手と首ををぶんぶんと横に振った。
「だろ?――だからとりあえず次の休みに必要な荷物取りに行こうぜ。半日ありゃ済むだろうし」
「だから、そういう問題じゃなくて!急にそんな事言われても無理だってば!」
 頼むからこっちのペースと気持ちを理解して欲しい。
「手続きとか、大家さんとの話し合いだってあるし!そんな簡単に決めれる事じゃないでしょ!?」
 まくしたてた私に、健斗君は目を丸めた。その後ではあ、と一つ溜め息をつく。
「お前さ。ナメてんのか?うちの専門だぞ、そこの所は」
 そこの所って?
 別にナメたつもりはもちろんないけど、意味がつかめない。
「さっき車の中で話してたの聞いてて分かんなかった?――うち、この辺りの不動産やってんだよ」 
 WK不動産って知らない?と健斗君が言った。
「し、知ってます……」
 カタコトになって私は返す。
 有名な会社だ。
 日常的に耳に入ってくるし、確かテレビのⅭMとかでもよく目にする。
 ――え?今その会社の、息子、さん?
 目をぱちぱちさせている私にだから何で敬語?と健斗君がまた指摘してきた。
「このマンションもうちの物件だから。あ、周りにあんまり言わないようにしとけよ、多分噂とか面倒くせー事になる可能性あるから」
 ついでにどうでもいいみたいにそう忠告してきているけど。
 いや、スケールが大きすぎます、私にとっては。
 と言うより言いふらすつもりないって言うか、ここに住む気なんてないとさっきから何度も。
「だから手続きとかはこっちに任せてくれていいから。とにかく必要な荷物だけ運べ。そんでその日の夜にうちの両親に会いに行っとこうぜ」
「……へ?」
 新たなパワーワードが聞こえた気がして、私は耳を疑った。
「ご両親、って……?」
 話の流れで健斗君の言おうとしている事は理解していた。とっても嫌な方の予測。
「ちゃんと紹介しとかないといけないだろ?お前の事」
「待って待って!!おかしいおかしい!!」
 そして、見事に的中した予感。
「そっちにも事情あるかもしれないけれど、こっちだって事情はあるし!急にそんな事言われても困る。本当に困るの!」
「困るって何が?」
「そ、その……い、忙しいし」
「何で?」
 あ、これ具体的な理由を述べない限り絶対に逃さないって感じだ。
 とにかくここは何か言わなければ。何か。何か。
(……あ!!)
 ふと、頭に思い浮かんだ。
「私!転職しなきゃいけないの!!それで忙しいの、だからそれ所じゃないの」
 よし、と心の中でガッツポーズをする。
 これは本当だ。嘘じゃない。
 トラブルの種だと思っていたものがこんな形で役に立つとは思わなかった、人生どうなるか分かったもんじゃない、捨てたもんじゃない、悪い事ばかりじゃない。
 神様に感謝しながら私は自分の事情を説明し始めた。
「今私が働いてる所、人手不足で。近々、お店たたむ予定で」
 何で私こんなセンシティブでプライベートな事をこの人に話してるんだろうか、と疑問が湧いたけど、この際背に腹は代えられない。
「……どういう事?」
 今までどこか軽くあしらっている雰囲気だった健斗君の雰囲気が変わった。
 背もたれにかけていた身をゆっくり起こして、私と向き合う。
 別に怒鳴ったりされてる訳じゃないのに、これはこれで変な緊張感があって困惑する。
 でもここまで言った以上はちゃんと受け答えをしないと。
「……言葉通りの意味。求人は一応出してるけど、なかなか人来なくて。結構みんなハードスケジュールで限界来てるから、もう思い切ってお店止めるって店長が」
 ここで無理難題を言って店の都合を押し付けない辺りに店長の人の好さが出ているなと、説明しながらしみじみ思った。
「職無くなるって事?」
「あ、いやそこはうまく店長が知り合いのツテで新しい職場探してくれてて。みんな紹介してもらえる事になってるから、大丈夫なんだけど」
 持ち前の気の良さが発揮された結果だ。
 ずっと今まで親身にお世話にしてくれた事も含めて、頭が上がらない。
「とにかくそういうのもあって、とっても忙しいの。新しい職にも慣れなきゃいけなくなるし」
 だから、今は結婚だの何だのにこだわってる暇はない、と私はそれとなく伝えた。
 そう、これ。今はまず目の前のこの結婚問題(?)を解決しなければ。
「売上は?経営自体は成り立ってんの?」
 健斗君からはそういう問いが投げかけられた。
 結婚というタグの完全に外れているその質問は意外過ぎで、少しだけ拍子抜けした。
「経営は問題無かったみたいだけど。お客さん結構多かったし」
 私が言うと、ふーん、と健斗君が一人ごちた。
「――で?お前はどう思ってる訳?今の店辞めて新しい職始める方がいいの?」
「いや、それは出来れば……今の職場続けたいんだけど」
「何で?新しい所だと今の職場より給料下がるとか?」
「……そういう事じゃなくて」
 じゃあ何?と健斗君が視線だけで先を促して来る。
「やっぱり、今まで凄く店長にはお世話になってるし。一緒の仲間と続けたいから」
 視線を下に落として、私は答えた。
 うわ、恥ずかしい。すごい恥ずかしい。
 でも実際そう思っているのだから仕方がない。
「へー。律儀じゃん」
 一通り私の話を聞いた後、健斗君はそう呟いて笑った。
 もしやこれ、やっぱり軽くあしらわれてる?
「……馬鹿にしてる?」
 そりゃあ、健斗君の抱えている物に比べたら、私個人の事なんて小さく見えるのかもしれないけれど。
 こっちはこっちなりに必死なのだから、笑わなくても。
 ちょっとむっとした表情を作った私に、健斗君は即座に否定の言葉を投げかけてきた。
「馬鹿にしてねーよ。ただ、やっぱりお前変わってねーって思っただけ」
 その微笑みは確かに馬鹿にしてる風には見えなかった。
 すごく満足したような、嬉しそうな、そんな感じで。
 予想外の反応に少し戸惑ってしまった私に、健斗君はソファーから立ち上がりながら晩飯どうする?なんて訊いてきた。
 ――本当にこの人の思考回路、どうなってるんだろう。
 会話の真意も意図も掴めず、私は結局ただその雰囲気に流されるだけになってしまった。
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