振り返って、接吻
「…副社長?」
自分でも恐怖を抱くほどの歪んだ欲求に顔を顰めていたせいで、隣の席についていた長い髪をひとつにまとめた女社員が、心配そうに覗き込んできた。
「ごめん、考え事してた」
軽い謝罪を口にして烏龍茶を口に含めば、「いえ、年末ですしお疲れですよね!」と気の利いた言葉が返ってくる。
「また烏龍茶で大丈夫ですか?」
俺の空になったグラスを見たその社員は気を利かせて、注文をしてくれるらしい。「うん、ありがとう」と当然のお礼を言えば、彼女は顔をぐっと赤く染め上げた。
お礼くらい言うよ、俺をなんだと思ってるの。
「副社長ってずるいです」
その社員ははらりと落ちてきた自分の後れ毛を耳にかけ、小さく困ったように笑った。決して鈍感ではない俺は、空気の変化を感じ取ってしまい、心でわらう。
ずるくないよ?とか適当なことを言えばいいのかもしれないけど、俺は無言でその女を見据えるだけにした。
俺の周囲に現れる女性はみんな、恋愛の空気を持ってくる。普段敬遠されている俺に、少し触れるきっかけがあればすぐこれだ。
でも、さすが宇田の選んだ社員である彼女は、思い上がりの馬鹿とは少し違うらしい。
テーブルの隅にあるスマホのバイブが小さく震えた。プライベート用のそれは、おそらく急ぎの要件ではない。というか、要件はもう分かっている。
だから、どうしたって俺の意識はそちらに引かれてしまうけど、さすがに、ここでスマホを弄る程の最低さはない。
しかし、目の前の彼女から意識が外れてしまったのは事実。俺に向かって話している声も、きちんと言葉として耳には届かない。
「大事な社員として想われているだけなんですよね、それも嬉しいですけど、」
それでも続けて話した彼女だったが、いつまでもスマホに気を取られたままの俺にいよいよ「気にせず返信してください」と促した。