ガラスのピアノは涙にきらめく ~御曹司を誘拐したら冷たく溺愛されました~
 眠りこけている桜空は無抵抗にキスを許した。
 やわらかい感触に、漣はさらに桜空が欲しくなる。
 うーん、と彼女が寝返りをうち、漣ははっと我に返った。
 顔をしかめて桜空を見る。なにも考えてなさそうな寝顔に、だんだん腹が立ってきた。
 テーブルに置かれた社史を持つと、漣は足早に部屋を出た。
 
 目が覚めた桜空は、ねぼけたまま部屋を見回した。
 カーテン越しの朝日が目にまぶしい。
 いつの間に戻ったのか、記憶がなかった。
 いつものようにかさねが入室して目覚めの飲み物をくれる。今日は甘いカフェオレだった。
 顔を洗い、着替えさせてもらってからふとテーブルを見ると、社史の上にメモがあった。
 真面目に読まなくていい。
「あら、坊ちゃまの字ですね」
 かさねが教えてくれた。
 パラパラめくると、付箋の疑問に答えが書き込まれていた。
「バカだから、あきれられたのかな」
 しょんぼりと言う桜空に、かさねはにっこりと笑った。
「そんなことはないですよ。さあ、朝食においでください。坊ちゃまが待っておられます」
 桜空は驚いた。忙しさを理由にいつも食事は別々だったからだ。
 なんだか妙にどきどきしてまた落ち着かなかった。

 車での出社途中、難しい顔をした漣は、ふと秘書の和志にたずねてみた。
「うちの社史って面白いか?」
「……普通の社史ですね」
 言外に面白くないと言われ、そうだよな、と漣は頷く。
「冗談で読めと言ったら本当に読んでいた。バカなのか?」
「真面目で純粋なんですね。誘拐の件といい、今後も騙されそうですね」
 漣はふっと息をついた。
 彼に必死に近付く女は野心でがつがつしていてうっとうしかった。お嬢様は控えめにと教育されているからいろいろと察してやらねばならず、めんどくさい。
 冷たくしたらクールなのが素敵と寄って来る女がいる。自分だけは優しくされるはずだとなぜか信じており、彼が軽くあしらうと途端に怒り出す。
 若い頃にはそれなりに恋愛にも興味はあったが、男女のかけひきにはすぐに飽きた。
 この女——桜空なら最初から恋愛の対象ではない。向こうもその気はないだろう。からかって遊んでも問題はない。そう思っていたのに。
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