青い鳥はつぶやかない 堅物地味子の私がベリが丘タウンで御曹司に拾われました

   ◇

 BCコマースの定時退社は一時的なものではなく、一月下旬も続いていた。

 しかし、ツインタワーを出て駅へ向かう史香の足取りは重かった。

 正月に親からは顔色がいいと言われていたが、最近、妙に疲れるのだ。

 風邪でも引いたのかなあ。

 変に食欲はあるから、早く帰って暖かいものでも食べて寝よう。

 と、そこへやたらとポケットのついたキャンプベストを着た中年男が近づいてきた。

 ストーカー事件もあって思わず史香は立ち止まって身構えた。

「いや、すみません。わたくし、こういう者です」

 男はベストのポケットから名刺を取り出し、丁寧に差し出した。

《フォトグラファー 榎戸直弥》

 カメラバッグを肩からかけていて、服装もいかにもという感じだ。

 頬から顎にかけて無造作にひげを生やしているが、がっしりとしたスポーツマンタイプで、不潔感はない。

 三十代の半ばくらいだろうか。

 ドキュメンタリー番組のナレーターのような落ち着いたいい声をしている。

「フリーランスですが、ふだんはこういうタウン誌なんかの写真を撮ってます」

 男はベリが丘各地で無料配布されている『ベリが丘プレミア』を開いて見せた。

「私に何か?」

「黄瀬川……史香さんですよね」

「はい、そうですけど」

 返事をしたものの、名前を知られているのが気味悪い。

「少しお話を聞かせてもらいたいんですがね」

 男はスマホの画面を史香に示した。

「あっ……」

 思わず声を上げてしまった。

 里桜がストーカーに襲われている写真だった。

 あの場所を目撃していたというのだろうか。

「他にもこういうのもあるんですよ」

 淡々としたしゃべり方の相手が示したのは、蒼馬と二人で展望台にいる時の写真だった。

 ――えっ!?

 うそ、いつの間に。

 言葉を失う史香にカメラマンがたたみかけてくる。

「ここじゃ寒いんで、あったまれるところまでつきあってもらえませんかね」

 ベストの上にコートでも着たらと突き放すわけにもいかず、史香は相手と並んで歩き出した。

 BCストリートはバレンタイン向けのディスプレイが華やかだ。

 榎戸はベリが丘のメインストリートから一本裏に入った昔ながらの喫茶店に史香を誘った。

「あそこのラウンジじゃなくて、すまないね」

 路地から見え隠れするツインタワーの最上階を、顎を向けるように見上げる。

 すべて知ってるぞと匂わせる相手の真意はどこにあるのか。

 不安を感じながらも史香は店内へ足を踏み入れた。

「いらっしゃいませ」

 コーヒーの香りに包まれた昭和喫茶に似合う渋い男性がカウンターの奥で出迎える。

 史香はふと執事の佐久山を思い浮かべた。

「俺はコーヒーとナポリタン。あんたもコーヒーでいいか」

 常連なのか即決の榎戸に対して、史香は一通りメニューを眺めてから訂正した。

「あ、ええと……サイダーを」

「寒いのにな」

 コーヒーという気分でもないのだから仕方がない。

 そういえば、最近、あまりお茶も飲まなくなったな。

 いろいろあって、疲れてるのかな。

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