三日月が浮かぶ部屋で猫は ~新米ペットシッターは再会した初恋の彼の生涯専属を求められる~
「でもやっぱり、そうね、あなたが彼と二度と連絡をとらないというなら、うちの会社で雇ってあげるわ。給料もボーナスも倍にしてあげる」
 挑発するような女の声に、沙耶の手が震える。

「彼、私のために猫を飼ったのよ。私が見たいって言ったら、すぐに手に入れてくれたの。愛されてるのよね」
「嘘です」
 沙耶の声はうわずっていた。かわいいんだ、とクレオパトラを見て微笑んでいた尚仁の言葉が蘇る。あんなにかわいがっているのに、それが彼女のためだったなんて。

「だって、それなら彼の部屋に猫を見に行くはずです」
「これから行くの。言ったでしょ、この前はケンカ中だったの。もう仲直りしたわ」
 電話に出なかったのも、ケンカしていたからだったのか。
 ならば沙耶に気を持たせるようなことを言ったのは、本当にただの冗談だったのか。ただからかっただけなのか。ドライブに誘ったのは、ただ友達だと思っていたからなのか。鍵を渡すときに特別だよ、と言ってくれたのは。友達だから特別だよ、ということだったのか。

「お返事は? 迷う必要はないと思うけど」
 だけど、沙耶は返事ができない。
 呼吸が急に苦しくなった。胸になにかが刺さって、痛くて痛くてたまらない。
 真里奈は黙って返事を待った。沙耶が胸に手を当ててうつむいているのを、迷っているのだと思ったようだった。

 どうしてこんなことになっているんだろう。
 沙耶は混乱しながらも考える。
 彼は本当に不倫を? あのとき彼女が自分に圧をかけてきたのは、嫉妬からだったのだろうか。ここで断ったら、どうなるんだろう。
 尚くんは、どうしてこの会社を受けるなと言ったんだろう。不倫相手のいる会社だったからなのだろうか。
 エアコンの静かな稼働音だけが部屋に満ちる。
 しばらくして、沙耶は意を決して顔を上げた。

「お断りします」
 真里奈は意外そうにしたあと、笑顔を消した。その目には強い敵意が宿る。
 怯みそうになる自分を叱咤して、目を見つめ返す。

「あなた、このあたりではもう働けないと思いなさいよ」
「今日はありがとうございました」
 沙耶は立ち上がり、頭を下げた。
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