ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
ホッとした笑顔の理由は、むろんハルの体を気づかってのことだろうけど、それ以上に深刻な背景があるのだと、純平も他のスタッフも知っていた。

スローフードを掲げるフェルカドは、ほとんどの食材を地物に頼っている。
漁港が近く新鮮な魚介類の仕入れには事欠かないが、野菜は、周辺農家が次々と廃業し土地を売り、今では有機農法を続ける畑は山岡農園だけとなってしまった。

その山岡夫妻もすでに齢八十。最近、不登校中の孫が畑作業を手伝うようになったとはいえ、後継者のいない農業を、いつまで続けられるかわからない。

「おめぇが試作品を食べさせるからだぜ」

「てめぇこそ、味見役にしてたじゃねえかよ」

「そりゃおめぇ、ばあさんが美味しそうだってよだれ垂らすからよ」

「それで調子に乗ってフルコース味見させてりゃ世話ないわな」

「何だとぉ」

「やめんか」

伊佐山の声にとたんに静かになる。

「申し訳ありません。ふたりには重々言って聞かせますから」

「ハルさんもね、糖尿で食事制限しなきゃってわかっているのに」

「昔から食い意地がはったばあさんで……」

元凶はお前かと呆れ顔に、伊佐山は叱られ坊主のように首の後ろを掻いている。

「それでは、よろしくお願いします」

一礼して、いつもは颯爽とフロアの準備に向かう多恵の後ろ姿が、今日はやけに疲れて見えて、少し気になる純平だった。
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