社交界の毒婦とよばれる私~素敵な辺境伯令息に腕を折られたので、責任とってもらいます~

24 共に歩む人【リオ視点】

 俺に大人しく抱きかかえられているセレナ嬢の身体が強張った。警戒されてしまっている。

 おそらくこれは、俺が『あなたにすごく怒っているので』と言ったことに反応しているんだろうな。

 好きな人に警戒されるほど悲しいことはないが、これだけはどうしても言っておかないといけない。

 俺は、ターチェ家の馬車にセレナ嬢を乗せ、彼女と向かい合わせに座った。

 セレナ嬢は、こちらの出方をうかがっているようだ。

 俺はセレナ嬢の透き通った瞳を見つめた。

「もっと自分を大切にしてください」

 これまでのセレナ嬢の置かれていた環境からすると、それができなくても仕方がないことだと思う。

 それくらい、ファルトン伯爵のセレナ嬢への態度はひどかった。

 冷遇されているセレナ嬢を見るたびに、俺は伯爵に声を荒らげそうになるのを必死にこらえた。彼女は、母が亡くなってからずっとこんな扱いをされていたのか?

 ファルトン伯爵を何度殺しても殺したりない。

 セレナ嬢が『演技をしてファルトン伯爵に毒を使わせよう』としていることに気がついたとき、俺は彼女に違和感を覚えた。そして、俺をかばうように前に飛び出した瞬間に確信した。

 セレナ嬢は、生に執着していない。

 剣を掲げた騎士が襲いかかってきたとき、俺やエディ、他のバルゴアの騎士たちも誰一人、セレナ嬢が前に出ると予想できなかった。

 普通ならそんなことが起こるわけがないのだから。でも、コニーだけは違った。セレナ嬢と一緒につらい環境を過ごしてきたコニーだけは、セレナ嬢の行動が読めていた。

 だから、コニーはセレナ嬢を守ることができたんだな。

 おそらくセレナ嬢には、『もっと自分を大切にしてください』という俺の言葉は届いていない。それでも言わずにはいられない。

「あなたは、いつ死んでも良いと思っていませんか?」

 まばたきしたセレナ嬢は、小さく笑う。

「死んで楽になりたいと思っていたころもありました。これまでの私にとって死ぬことは、唯一の希望でしたから」

 セレナ嬢は「それに、死んだらお母さまに会えるもの……」と瞳をふせる。

「でも、今は違います。今は生きたいと思っています。本当ですよ。リオ様のおかげです」

 ふわりと微笑みかけられて、俺の心臓がしめつけられるように痛んだ。

「なら、どうして俺をかばおうとしたんですか!?」
「……」

 少しの沈黙のあと、セレナ嬢は口を開く。

「リオ様がどれだけ優秀で素晴らしい方なのか、ほんの少し一緒にいた私でもわかります。リオ様に何かあったら、バルゴアの民が黙っていないでしょう」

 セレナ嬢の声は、不思議なくらい落ち着いている。

「命の重さに違いはないと思います。でも、私は責任の重さには違いがあると思うのです。だって、平民と国王では背負う責任の重さが違うでしょう?」

「だから、俺は生き残って、あなたは死んでもいいと?」
「そういうわけではないのですが……。そうですね、結果的にはそう思いました。すみません……」

 セレナ嬢は、うつむいてしまった。こんな風に彼女を困らせたいわけではないのに。

 あなたを愛しているんです。だから、あなたが傷つく姿なんて見たくない。

 そう言えてしまえば簡単なのに。彼女の右手首には包帯が巻かれている。だから、まだ俺の想いを伝えるわけにはいかない。

 しばらく沈黙がつづいたあとに、「父は、どうなりますか?」と尋ねられた。

 あのファルトン伯爵にすら『かわいそう』と言ったセレナ嬢なら減刑を求めるかもしれない。彼女は優しすぎる。

「ファルトン伯爵は、確実に死刑になります。それだけの罪を犯している」

 そう伝えると、予想外に「そうですか」とあっさりした言葉が返ってきた。

「良いんですか? あなたは『かわいそう』だと……ファルトン伯爵の減刑を求めますか?」
「いいえ」

 セレナ嬢は、ゆるゆると首をふった。

「すべてを他人のせいにしないと生きられない父をかわいそうだと思いますが、助けたいとは思いません。助けたいと思えるほどの愛情を、あの人からはもらっていませんから」

 彼女の口元に、寂しそうな笑みが浮かんだ。

「減刑どころか、私は父が死刑になる前に、母と同じ苦しみを同じ期間、味わってほしいと思っています。毒を盛られた母は、死ぬ直前まで苦しんで、死ぬことによりようやくその苦しみから救われました」

 淡々と話すセレナ嬢は、亡き母を思い出しているようだった。

「リオ様。先ほども言いましたが、死はときには希望や救いにもなってしまうのです。だから、父はしっかりと苦しんでから死刑になればいい。父以外の人たちもそうです。自分たちが犯した罪と同じことをされてほしい。それ以上の罰は、望みません」

 その言葉を聞いた俺は、初めてセレナ嬢に出会ったときのことを思い出した。

 ケガをさせたことを謝る俺に、彼女は「あなたのせいではないでしょう? あなたは、体勢を崩した私を支えただけですから」と言ってくれた。

 ああ、そうか。彼女は、あのころからずっと、清らかで気高いんだ。そして、誰に対しても感情的にならず、公平にふるまうことができる。

 そんな彼女に、俺は惹かれたんだ。

「こんなひどいことを言う女は、嫌ですよね……」

 セレナ嬢は、自分の価値にまだ気がついていない。

 今なら、セレナ嬢が言った言葉の意味がわかる。

 ――命の重さに違いはないと思います。でも、私は責任の重さには違いがあると思うのです。だって、平民と国王では背負う責任の重さが違うでしょう?

 彼女は、俺の立場の難しさや、責任の重さを理解してくれているんだ。俺が死んでしまえば、バルゴアにとって不利益になる、それなら自分が死んだほうがいいと思うくらいに俺とバルゴアの未来を考えてくれている。

 セレナ嬢は、俺の後ろに隠れて守られるような女性じゃない。だから、俺の父が彼女に会ったら、きっとこう言うだろう。

 『セレナ嬢は、人の上に立つお前の隣に立ち、共に歩める女性だよ』と。

 俺は立ち上がるとせまい馬車内にひざまずき、そっとセレナ嬢の手をとった。驚く彼女をまっすぐ見つめる。

「あなたのケガが治ったら、聞いてほしいことがあります。とても大切なことなんです」

 『愛している』と、『俺と共に歩んでほしい』と伝えたい。

 あなたがどれほど素晴らしい人なのかわかってもらい、もう二度と俺をかばって、自分は死んでも良いだなんて思わせない。

 でも……。

 セレナ嬢は、俺に感謝以上の感情を持っているのだろうか? 嫌われてはいないと思う。でも愛されているとは思えない。もし、ふられたらどうしよう? 俺はセレナ嬢をあきらめることができるのか?

 ふられることを想像するだけで、戦場でもふるえたことがない俺の足がガクガクとふるえた。
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