追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。
103.手がかり
シルヴェリオを乗せた馬車が王城の敷地内にある黒の魔塔の前で停まる。
「シルヴェリオ様、到着しましたよ――おや?」
御者が馬車の扉を開けると、シルヴェリオは座ったまま顔を両手で覆っている。
「お加減がすぐれないのですか? すぐに宮廷の医務室から治癒師を呼んできます」
「……体調は問題ない。ただ、思い出してしまっただけだから気にしないでくれ」
シルヴェリオは顔から手を離して馬車から降りる。
そうしている間にも、脳裏にはフレイヤの手を握っていた時のことが過ってしまい、恥ずかしさのあまりその場に蹲りたくなるのだった。
(気付かなかったとはいえ、話している間ほとんどフレイさんの手を握っていたとは……)
本当はフレイヤは気づいていたのに、遠慮して言い出せなかったのではないだろうか。
もしかするとエレナに指摘される前からフレイヤは困っていたかもしれない。
頭の中でぐるぐると考えが巡る。
(……工房に寄った時に謝ろう)
次にまた同じようなことがあればすぐに指摘してもらおう。
シルヴェリオはそう決心した。
たとえ無意識だとしても、フレイヤに嫌な思いをさせたくないのだ。
(それにしても、聖属性の魔力についてはどうしたものか……)
悩んでいるものの、何をすべきかはわかっている。
自分より強い権力――ジュスタ男爵とネストレに話して協力を得ることだ。
魔導士団長――魔導士たちの頂点にいるジュスタ男爵なら魔力絡みの問題が起こればフレイヤを助けてくれるだろうし、王族のネストレなら貴族や大抵の権力からフレイヤを守れるだろう。
(隠し通すためには、今知っている面々以外には教えない方がいいかもしれないのだが……)
しかしコルティノーヴィス香水工房の面々の中で貴族は自分だけ。
レンゾもエレナもアレッシアも頼もしい存在ではあるが、平民の彼らは権力の前では無力だ。
とはいえシルヴェリオ自身も継承権を放棄しているため、権力は無いに等しい。
(さらに問題なのは、団長とネストレ殿下が協力してくれるかだな)
二人とも重職についているのだから、貴重な魔力は国のために使いたいと願うだろう。
フレイヤの力については、慎重に話さなければならない。
(あるいは、俺が褒賞として望めば叶えられるだろうか?)
そのためには火の死霊竜ほど強力な魔獣か魔物を討伐しなければならないだろう。
しかし王国の平和を思うと、彼らにはあまり出現しないでほしいと思う。
他に策はないだろうかと考えを巡らせていると、不意に何者かに肩を叩かれた。
振り向くと、白いシャツに黒色のスラックスといったラフな服装のネストレがすぐ背後にいた。
「シル! ちょうどよかった。今からジュスタ男爵とシルに報告しに行くところだったんだ。一緒に魔導士団の団長室へ行こう」
「報告?」
「イルム王国の王太子のアーディル殿下についてだ。かつて交流のあった貴族たちから話を聞いてきたよ」
「……ぜひ聞かせてください」
シルヴェリオは頷くと、ネストレと一緒に団長室へと向かった。
◇
「結論から言うと、アーディル殿下は成績優秀で人柄がよく、絵に描いたような優等生だったらしい。とりわけ仲良くしていた者は特にいなかったらしい。誰とでも一定の距離を保って接していたようだ」
ネストレは団長室に入るとすぐに話を切り出した。
シルヴェリオとネストレは来客用のソファに座っており、ジュスタ男爵は団長用の椅子に座って話しを聞いている。
「他国の王族が相手なら、向こうから話しかけてこない限りはエイレーネ王国の貴族たちも話しかけづらいでしょうね」
「ああ、そのためか学生時代は自国から連れて来た護衛と二人きりでいることが多かったらしい。アーディル殿下の母方の家に代々仕えている家門の出身らしく、年齢はアーディル殿下より年上で、寡黙で近寄り難い雰囲気があったそうだ」
「護衛ですか……」
シルヴェリオはぽつりと呟いた。
王族に護衛がつくのはごく自然なことだが、どうも引っかかる。
ちょうど最近コルティノーヴィス香水工房を訪れたイルム王国の商人のハーディも、フレイヤから聞いた話によるとマドゥルスという名の護衛を伴っているらしい。
工房に来た時もパルミロの店に行くときもそばにいたと聞く。
(たしかに商人たちは砂漠を越えるために護衛をつけるそうだが、砂漠を越えた先でも護衛に守ってもらうものだろうか?)
治安の悪い国へ行くときならそうするだろうが、エイレーネ王国は比較的治安のいい国だ。
それでも護衛をつけるのであれば、よほど用心深い商人なのかもしれない。おまけに護衛を長期間雇えるのだから、資金が豊富なのだろう。
しかしハーディの所属するジャウハラ商会はヴェーラやエレナが知らない無名の商会のため二人に警戒されている。
(そもそも、本当に商人とその護衛なのだろうか?)
裕福な階級の者が商人と偽ってフレイヤに近づいた可能性もなくはない。
そう考えると途端に恐ろしくなった。
「シル、顔色が悪いけど大丈夫か?」
ネストレが気遣わしく声をかける。ジュスタ男爵もどこか心配した様子でシルヴェリオを見ている。
「……実はこの二日間、コルティノーヴィス香水工房にイルム王国から来た商人とその護衛が訪ねてきたんです。彼らのことを考えていました。二人はルアルディさんが作った香水がネストレ殿下を目覚めさせたという噂を聞いて、ルアルディさんに香水を作ってもらいに来たのです」
「それはなんとも奇遇な話ね」
ジュスタ男爵は怪訝そうに片眉を上げる。
シルヴェリオは相槌を打つと、ハーディの所属する商会をヴェーラとエレナたちが警戒していることや、フラウラがハーディの魔力を感じ取って怯えていたことを伝えた。
「――そういうことで、もしかしたら二人とも正体を偽ってルアルディさんに近づいているかもしれません」
「コルティノーヴィス卿の言う通り、その可能性もなくはないわね。珍しい力を持つ人間を攫うために身分や職を偽って入国する犯罪者がいないこともないわ」
ジュスタ侯爵は神妙な顔でそう言うと、小さく溜息をついた。
「建国祭前に片付けた方が良さそうね。もしかすると、祭の最中に問題を起こすかもしれないわ」
「実はハーディという人物からはうちの香水を卸すための商談をしたいと言われています。商談を利用して正体を探るので、協力いただけますか?」
シルヴェリオの問いに、ネストレもジュスタ男爵も頷く。
「ああ、恩人のルアルディ殿のためなら惜しまず協力しよう。すぐにでも商談の場を設けてくれ。そこに私とジュスタ男爵が潜入しよう」
ネストレの頼もしい返事に、シルヴェリオは感謝すると同時に思い悩む。
彼にならフレイヤの力について話していいだろうかと、何度も考えるのだった。
「シルヴェリオ様、到着しましたよ――おや?」
御者が馬車の扉を開けると、シルヴェリオは座ったまま顔を両手で覆っている。
「お加減がすぐれないのですか? すぐに宮廷の医務室から治癒師を呼んできます」
「……体調は問題ない。ただ、思い出してしまっただけだから気にしないでくれ」
シルヴェリオは顔から手を離して馬車から降りる。
そうしている間にも、脳裏にはフレイヤの手を握っていた時のことが過ってしまい、恥ずかしさのあまりその場に蹲りたくなるのだった。
(気付かなかったとはいえ、話している間ほとんどフレイさんの手を握っていたとは……)
本当はフレイヤは気づいていたのに、遠慮して言い出せなかったのではないだろうか。
もしかするとエレナに指摘される前からフレイヤは困っていたかもしれない。
頭の中でぐるぐると考えが巡る。
(……工房に寄った時に謝ろう)
次にまた同じようなことがあればすぐに指摘してもらおう。
シルヴェリオはそう決心した。
たとえ無意識だとしても、フレイヤに嫌な思いをさせたくないのだ。
(それにしても、聖属性の魔力についてはどうしたものか……)
悩んでいるものの、何をすべきかはわかっている。
自分より強い権力――ジュスタ男爵とネストレに話して協力を得ることだ。
魔導士団長――魔導士たちの頂点にいるジュスタ男爵なら魔力絡みの問題が起こればフレイヤを助けてくれるだろうし、王族のネストレなら貴族や大抵の権力からフレイヤを守れるだろう。
(隠し通すためには、今知っている面々以外には教えない方がいいかもしれないのだが……)
しかしコルティノーヴィス香水工房の面々の中で貴族は自分だけ。
レンゾもエレナもアレッシアも頼もしい存在ではあるが、平民の彼らは権力の前では無力だ。
とはいえシルヴェリオ自身も継承権を放棄しているため、権力は無いに等しい。
(さらに問題なのは、団長とネストレ殿下が協力してくれるかだな)
二人とも重職についているのだから、貴重な魔力は国のために使いたいと願うだろう。
フレイヤの力については、慎重に話さなければならない。
(あるいは、俺が褒賞として望めば叶えられるだろうか?)
そのためには火の死霊竜ほど強力な魔獣か魔物を討伐しなければならないだろう。
しかし王国の平和を思うと、彼らにはあまり出現しないでほしいと思う。
他に策はないだろうかと考えを巡らせていると、不意に何者かに肩を叩かれた。
振り向くと、白いシャツに黒色のスラックスといったラフな服装のネストレがすぐ背後にいた。
「シル! ちょうどよかった。今からジュスタ男爵とシルに報告しに行くところだったんだ。一緒に魔導士団の団長室へ行こう」
「報告?」
「イルム王国の王太子のアーディル殿下についてだ。かつて交流のあった貴族たちから話を聞いてきたよ」
「……ぜひ聞かせてください」
シルヴェリオは頷くと、ネストレと一緒に団長室へと向かった。
◇
「結論から言うと、アーディル殿下は成績優秀で人柄がよく、絵に描いたような優等生だったらしい。とりわけ仲良くしていた者は特にいなかったらしい。誰とでも一定の距離を保って接していたようだ」
ネストレは団長室に入るとすぐに話を切り出した。
シルヴェリオとネストレは来客用のソファに座っており、ジュスタ男爵は団長用の椅子に座って話しを聞いている。
「他国の王族が相手なら、向こうから話しかけてこない限りはエイレーネ王国の貴族たちも話しかけづらいでしょうね」
「ああ、そのためか学生時代は自国から連れて来た護衛と二人きりでいることが多かったらしい。アーディル殿下の母方の家に代々仕えている家門の出身らしく、年齢はアーディル殿下より年上で、寡黙で近寄り難い雰囲気があったそうだ」
「護衛ですか……」
シルヴェリオはぽつりと呟いた。
王族に護衛がつくのはごく自然なことだが、どうも引っかかる。
ちょうど最近コルティノーヴィス香水工房を訪れたイルム王国の商人のハーディも、フレイヤから聞いた話によるとマドゥルスという名の護衛を伴っているらしい。
工房に来た時もパルミロの店に行くときもそばにいたと聞く。
(たしかに商人たちは砂漠を越えるために護衛をつけるそうだが、砂漠を越えた先でも護衛に守ってもらうものだろうか?)
治安の悪い国へ行くときならそうするだろうが、エイレーネ王国は比較的治安のいい国だ。
それでも護衛をつけるのであれば、よほど用心深い商人なのかもしれない。おまけに護衛を長期間雇えるのだから、資金が豊富なのだろう。
しかしハーディの所属するジャウハラ商会はヴェーラやエレナが知らない無名の商会のため二人に警戒されている。
(そもそも、本当に商人とその護衛なのだろうか?)
裕福な階級の者が商人と偽ってフレイヤに近づいた可能性もなくはない。
そう考えると途端に恐ろしくなった。
「シル、顔色が悪いけど大丈夫か?」
ネストレが気遣わしく声をかける。ジュスタ男爵もどこか心配した様子でシルヴェリオを見ている。
「……実はこの二日間、コルティノーヴィス香水工房にイルム王国から来た商人とその護衛が訪ねてきたんです。彼らのことを考えていました。二人はルアルディさんが作った香水がネストレ殿下を目覚めさせたという噂を聞いて、ルアルディさんに香水を作ってもらいに来たのです」
「それはなんとも奇遇な話ね」
ジュスタ男爵は怪訝そうに片眉を上げる。
シルヴェリオは相槌を打つと、ハーディの所属する商会をヴェーラとエレナたちが警戒していることや、フラウラがハーディの魔力を感じ取って怯えていたことを伝えた。
「――そういうことで、もしかしたら二人とも正体を偽ってルアルディさんに近づいているかもしれません」
「コルティノーヴィス卿の言う通り、その可能性もなくはないわね。珍しい力を持つ人間を攫うために身分や職を偽って入国する犯罪者がいないこともないわ」
ジュスタ侯爵は神妙な顔でそう言うと、小さく溜息をついた。
「建国祭前に片付けた方が良さそうね。もしかすると、祭の最中に問題を起こすかもしれないわ」
「実はハーディという人物からはうちの香水を卸すための商談をしたいと言われています。商談を利用して正体を探るので、協力いただけますか?」
シルヴェリオの問いに、ネストレもジュスタ男爵も頷く。
「ああ、恩人のルアルディ殿のためなら惜しまず協力しよう。すぐにでも商談の場を設けてくれ。そこに私とジュスタ男爵が潜入しよう」
ネストレの頼もしい返事に、シルヴェリオは感謝すると同時に思い悩む。
彼にならフレイヤの力について話していいだろうかと、何度も考えるのだった。