追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

108.サヴィーニガラス工房へ

 翌朝の開店前、シルヴェリオがコルティノーヴィス香水工房を訪ねた。

「昨夜、ようやく建国祭に納品する香水の瓶のデザインが決まった。サヴィーニガラス工房にはもう連絡を入れておいたから、見に行ってもらえないか?」
「かしこまりました! どのデザインに決まったのですか?」

 フレイヤは元気よく返事をする。
 香水瓶のデザインの回答がなかなか来ないためやきもきしていたのだが、ようやく聞けて安堵した。

「二つ目の、フレイさんが推薦していたデザインだ。実は国王陛下と王妃殿下が大変迷っていたらしい。どのデザインも捨てがたいと言っていたそうだ」
「本当にどのデザインも素敵でしたものね。その言葉もグイリオさんたちに伝えておきますね」
 
 決まったのは、角ばった形の香水瓶だ。
 全体的に四角のシルエットだが左右になだらかな段差をつけて変化をつけており、エイレーネ王国の紋章をカッティングであしらったもの。
 
 シルヴェリオがサヴィーニガラス工房の工房長であるグイリオに連絡すると、グイリオらが試作品を作ってくれる手筈になっている。
 その試作品をフレイヤが確認し、問題が無かったら生産が始まるのだ。
 
「アレッシアさん、一緒に見に行きましょう」
「私も行っていいの?」
「ええ、だってアレッシアさんも一緒に作った香水ですから」
 
 上機嫌のフレイヤがにこりと笑ってそう言うと、アレッシアは嬉しそうな、そして照れくさそうな表情を浮かべつ頷いた。
 
     ◇
 
 フレイヤは黒の魔塔へ向かうシルヴェリオを見送った後、試作品用に作った香水を鞄の中に入れると、アレッシアと二人で工房を出た。
 
 朝早くの王都は、レストランや食堂に食材を運ぶ荷馬車や露店を出し始める人たちが行き交っており忙しない。

「あら、道の真ん中で立ち止まるなんて危ないわね。観光客かしら?」

 アレッシアが少し離れた場所を見遣ると、眉を顰めた。

 フレイヤがその視線の先を辿ると、十五歳くらいの少女が道の真ん中で立ち止まってきょろきょろと辺りを見回している。
 少女は大きな麦わら帽子を被っており、その下から腰まで長さのあるピンクブラウンの髪が見える。
 焦げ茶色のワンピースと白色のブラウスを合わせていて簡素な装いだ。

「たしかに危ないですね。周りの人は誰も注意していないようですし……」
 
 エイレーネ王国の王都の道の真ん中は馬車が通ることが多くて危険なため、街の人々は立ち止まらない。
 
 そんな話をしていた矢先、一台の馬車が少女に近づきつつあった。

「危ない!」

 フレイヤは駆け出して少女の腕を掴むと、そのまま腕を引っ張って道の端まで移動させた。
 
 ふわりと少女の帽子が宙に舞う。
 フレイヤが振り返って少女を見た時には、帽子で隠れていた金色の瞳が姿を現してフレイヤを見つめていた。

 精緻に作られた人形のように、綺麗な少女だ。
 
「怪我はない? 大丈夫?」

 フレイヤの問いに、少女はこくこくと黙って頷く。
 少女の自己申告では大丈夫らしいが、フレイヤは念のため少女の頭からつま先をざっと確認した。

 その昔、祖父のカリオから、事故に遭った人はしばらくの間は精神が興奮状態のため怪我に気づきにくいと言っていたことを思い出したのだ。

 幸にも目視できる範囲で怪我はなく、衣服に血が滲んでいるような気配もない。
 
「道の真ん中は馬車が通るから、立ち止まると危ないよ。立ち止まる時は、道の端に寄ってね?」
「……ごめんなさい」

 少女は眉尻を下げ、しょんぼりと俯いて謝る。
 あまりにも気落ちしているように見えたため、フレイヤは思わず少女の頭を撫でた。
 
「次からは気をつけてね?」
「はい!」

 少女は花が綻ぶように笑う。その笑みに、フレイヤもつられて微笑んだ。
 
「ルアルディさんったら、急に走り出すからびっくりしたわ」

 アレッシアがフレイヤのもとに駆け寄る。手には、少女が被っていた麦わら帽子を持っている。
 
「帽子、飛ばされてきたから持ってきたわ」

 そう言ってアレッシアは少女に帽子を渡すと、フレイヤに視線を移す。

「ルアルディさんは大丈夫の?」
「はい、ちょっと息が上がっただけで掠り傷一つありません」
「もうっ、急に飛び出さないでよね」
「ご、ごめんなさい……」

 今度はフレイヤがしゅんとして俯く。
 そんな彼女を見て、少女がくすくすと笑った。
  
「ところで、あなたはどうして道の真ん中で立ち止まっていたの?」
「この街が色彩に溢れていて、とても綺麗で、見惚れていたの。わたくしの生まれ故郷は一年のほとんどが雪に覆われていて、真っ白な世界だから」

 アレッシアの問いに、少女はうっとりとした表情で答える。
 
「一年のほとんどが雪に覆われているってことは……あなた、もしかしてオルキメア王国から一人でエイレーネ王国に来たの?」
「……ええ、人を探してここまで旅をしてきたの。初めて一人で外に出て、何もかもが新鮮で楽しくて、思わず目的を忘れそうになるところだったわ」

 少女は楽しかった道中を思い出したのか、ほうっと満足げに溜息を零す。
 エイレーネ王国への旅行はよほど楽しかったようだ。

 とはいえ人探しは大変だろう。心配したフレイヤは少女に問いかける。
 
「探している人は見つかった? もしまだなら、街の人に協力してもらって探すよ?」
「ありがとう。でも、もう見つかったから大丈夫」

 少女はにこりと微笑む。どうやら用事は済んだようで、フレイヤは安心した。

「お姉様たちはどこへ行くの?」

 少女は興味津々で、金の瞳をフレイヤに向ける。
 その姿は、好奇心が旺盛な仔猫のようで可愛らしい。
 
「ガラス工房だよ。今から商品の試作品を見に行くの」
「まあ、素敵! わたくしもついて行っていい?」
「ええと、それは……」

 フレイヤはちらりとアレッシアに視線を送る。

「工房に一緒に来てもらっても大丈夫でしょうか? 怪我はなさそうだけど経過を見たいし……建国祭に向けたガラス瓶は公開前だから見せられないけれど、他の場所は見ても良いですか?」
「そうね、建国祭に向けて作っているものは確かに見せれないけれど、その他の商品は見られても問題ないはずよ。それに、来客用の場所もあるからそこで待っていてもらってもいいと思うわ」

 サヴィーニガラス工房の工房長の娘であるアレッシアがそう言うのであれば問題ないだろう。
 
「大丈夫みたいだから、一緒に行こう。私はフレイヤ・ルアルディ。コルティノーヴィス香水工房の調香師だよ」
「私はアレッシア・サヴィーニ。今から行くガラス工房の工房長の娘よ。今は少しの間、コルティノーヴィス香水工房で調香師として働かせてもらっているの」
 
 フレイヤとアレッシアが自己紹介をすると、少女は優雅な所作で礼をとる。まるで貴族令嬢のように。
 
「初めまして、フレイヤさんにアレッシアさん。わたくしはアストリッドよ」
「アストリッド……」

 フレイヤは思わずその名前を呟く。
 彼女の脳裏に、雪深い国――オルキメア王国にいた魔女の話が過った。
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