追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

109.空色の香水瓶

 サヴィーニガラス工房に着くと、アストリッドは興味津々で工房内を見渡した。

「まあっ! あの棒の先についたぐにゃりと柔らかい火の塊がガラスなの?!」

 煌々と炎が輝く炉、整列した作業場でそれぞれ真っ赤になったガラスを操っての瓶を作る職人たち。

 職人たちがガラスの付いた棒をくるくると回して形を整える様が特に気になるようで、職人の手元をじっと見つめた。

 まるで初めて外に出た仔猫のように、あらゆるものに興味を示している。
 
 そんな様子を眺めていたフレイヤとアレッシアは、二人とも思わず笑みが零れる。
 
(こうして見ていると、普通の女の子に見えるけど……雰囲気や言葉遣いに上流階級特有の気品があるから、やっぱりオルメキア王国の貴族令嬢なのかな?)
 
 フレイヤたちに礼をとった時の所作はとても自然で、幼い頃から身についていたもののように見えた。

(でも、貴族令嬢ならどうしてたった一人で異国にいるのだろう?) 
 
 貴族でおまけに女性とならば、護衛の一人や二人がいてもおかしくないはずだ。
 
 となると、理由あって上流階級の所作を身につけた平民なのだろうか。

 どのような事情があるにせよ、アストリッドが話さないのに勝手に詮索するのは良くないだろうと思ったフレイヤは、頭を切り替えることにした。
 
 そこに、サヴィーニガラス工房の工房長でアレッシアの父のグイリオと、その娘でアレッシアの妹のジョイアが現れる。
 グイリオが手に持っているトレーには完成した香水瓶が載せられている。
 
「ルアルディさん、ようこそ。――アレッシアにはおかえりと言うべきかな。試作品はもうできているのでぜひご覧ください」

 フレイヤは香水瓶を見て感嘆の息を零した。

「とても綺麗……デザイン画の時点ですでに素敵でしたが、本物は想像以上ですね」

 天空を彷彿とさせる澄んだ青色の透明なガラスが美しい。
 角ばったシルエットのガラス瓶には重厚感があり、その側面の真ん中に彫刻された紋章は精緻で思わず見入ってしまう。

 蓋は本体と同じ青色の透明な球体のガラスがトップにつけられている。
 
「昨夜、コルティノーヴィス卿から手紙を受け取ってすぐに取り掛かりました」
「ということは、もしかして……寝ていないのですか?」
「ええ、寝る間も惜しんで作りましたとも。早く着くりたくてうずうずしていましたから」
 
 グイリオの体調を案ずるフレイヤに、グイリオは達成感に満ちた笑みを浮かべてそう答えた。

 むしろ、待ちに待った香水瓶制作が始められるというのに眠るなんて、考えすらしなかったと言う。

「そうです。お父さんったら、ここ数日は一時間おきにポストを見に行くほど気にしていたのですよ」
「これ、ジョイア! それを言うな!」

 恥ずかしいのか、グイリオは照れくさそうにジョイアを叱る。そんな二人の会話を聞いて、フレイヤたちや周りにいるガラス細工師たちは声を上げて笑った。
 
「それで、この試作品はいかがでしょうか?」 

 グイリオとジョイアは期待に満ちた眼差しでフレイヤを見つめる。

 フレイヤは二人に向かってにっこりと笑うと、大きく頷いた。

「はい、細部まで美しくて完璧ですし、この試作品をもとに量産の生産をお願いします」

 そう言い終えた後に、ハッとなにかに気づいたような表情を浮かべる。
 
「あ、あの、みなさん睡眠はちゃんととってくださいね?」

 いくら納期が短い商品とはいえ、無理をさせたくない。

 一晩徹夜しただけでも疲れただろうに、数日連続で徹夜しては体がもたないだろう。

 心配そうに眉尻を下げるフレイヤを見て、グイリオはまた笑った。
 
「ははっ、お気遣いありがとうございます。ちゃんと休みをとりますよ。なんせ体が資本ですからね」
「それを聞いて安心しました」

 フレイヤが胸を撫でおろしたと同時に、空から青白い光を纏う鳥が舞い降りてフレイヤの目の前に現れる。
 
「これは……シルヴェリオ様の連絡の魔法かな?」

 フレイヤが手を差し伸べると、鳥はその上に乗る。途端に鳥の形が変わり、一枚の手紙になった。

 紙に書かれている文字を読んだフレイヤは目をぱちくりと瞬かせる。
 手紙はオルフェンからで、『今からそっちに行くから動かないように』と書かれていたのだ。

「オルフェンが今ここに向かっている? ――ああ、外出時はオルフェンについて来てもらうようシルヴェリオ様から言われているんだった」

 香水瓶のデザインが決まった喜びですっかり忘れていたが、白い魔女がフレイヤを探しているらしいからオルフェンを護衛替わりにすることになっていた。

 今朝もコルティノーヴィス香水工房の近くまで送ってもらい、オルフェンはその足で今日も王立図書館に向かったのだ。

 きっとシルヴェリオから、フレイヤがガラス工房に向かったことを聞かされたのかもしれない。 
 
 手紙から顔を上げたフレイヤはアレッシアに声をかけようとして――表情を強張らせた。
 
「アレッシアさん……?」

 アレッシアはグイリオたちに話し掛けようと足を一歩前に踏み出したままの姿で固まっているのだ。
 周囲を見てみると、みんななにかをしている途中で動きを止めている。

 ――ただ一人、アストリッドを除いて。

 アストリッドはどこかしおらしく、申し訳なさそうにフレイヤを見つめている。その髪と目の色が次第に銀色へと変化していった。
 
 その姿はまるで、話しに聞いていた古の魔導士のアストリッドだ。
 
「驚かせてごめんなさい。わたくしが少し、時を止めたの」

 アストリッドは肩にかかる自分の髪を指先でサラリと払う。

「騙していてごめんなさい。この見た目はあまりにも目立つから、髪と目の色を変えていたのよ」

 こつり、こつり。
 アストリッドが硬い革靴を鳴らしてフレイヤに近づく。顔立ちや背丈も変わり、フレイヤよりもやや年上の女性になった。

「祝福の調香師の噂を聞いてからずっと、あなたを探していたのよ」

 アストリッドはフレイヤの手をとる。その手はとても冷たかった。
 恐怖なのか、それとも魔法をかけられているのか、フレイヤの体は動かない。

「悪いけど、攫わせてもらうわ」

 その言葉を最後に、フレイヤの視界がぐにゃりと歪んだ。
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