追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

134.パンプティングを食べていたら

 翌朝、フレイヤはコルティノーヴィス伯爵家の食堂で、緊張した面持ちで朝食をとっていた。
 テーブルに並べられているには、彩り鮮やかなサラダ、黄金色のオムレツや、カリッと焼かれたベーコンやソーセージに、様々な種類の焼きたてパン。
 
 どれも、とてつもなく美味しそうなのだが、貴族であるヴェーラとの朝食でやや緊張しているためか、味があまりわからない。
 オルフェンはというと、ヴェーラのことは全く気にせず、美味しそうにオムレツを頬張っている。
 少しでもいいから、その豪胆さを分けてもらいたい。
 そう思いつつ、フレイヤはヴェーラから勧められたパンプティングを食べた。
 蜂蜜の甘さとバターの濃厚な香りに思わずうっとりとしたところで、食堂の扉が開き、コルティノーヴィス伯爵家のメイドが、忙しない様子で入ってくる。
 彼女はヴェーラに歩み寄った。

「朝食中に申し訳ございません。王宮から第二王子殿下がお見えになりました。至急、ルアルディ様にお会いしたいとのことです」

 フレイヤは手に持っていたパンを自分の皿に戻す。
 第二王子――ネストレが自分を訪ねてきたと聞いて、慌てて手元にあるナプキンで口元と指先を拭った。 
 
(いったい、どうしたのだろう?)

 王族が、平民である自分をわざわざ訪ねてくる理由を考えて、青ざめる。
 もしかして、納品した香水に不備があったのだろうか。
 そのような考えが過ったのだ。
 
「第二王子殿下が自らここに来るとは……緊急事態かもしれないな。ルアルディ殿と一緒に、私も会おう」
「あ、ありがとうございます」

 ヴェーラがいてくれると、心強い。
 
 安堵したフレイヤは椅子から立ち上がり、メイドとヴェーラの後に続いて、オルフェンと一緒に食堂から出た。
 
 朝日が差し込んでくる廊下を進んで、応接間の中に入る。
 そこには、やや憔悴した様子のネストレがソファに腰かけて、机の上に置いた両手をきつく握りしめていた。
 
「突然、押しかけてきてすまない」
 
 ほぼ口を開くと同時に、ネストレは立ち上がる。
 かなり急いているようだ。
 
「ルアルディ殿、今すぐに王宮に来てくれないか? 君の力を借りたい」
「私の力……ということは、香りに関する事でしょうか?」
「……どちらかといえば、祝福の調香師としての力を借りたい。私にかけられていた呪いを解呪してくれた時のように――シルを、助けてほしい」

 ネストレが言い終えないうちに、フレイヤの斜め前で、ヴェーラが息を呑んだ。

「シルヴェリオに、何かあったのですか!?」 
「オルメキア王国の宰相に呪いをかけられた。今は王宮内にある医務室で治療を受けているが、……瀕死の状態だ」
「そんな……!」

 ヴェーラの体が微かによろめく。
 どこからともなく現れたリベラトーレが、ヴェーラの体を支えた。

 いつもは悠然としているヴェーラが、今ではすっかり、余裕を失くして震えている。
 陶器のように白い肌は、血の気が引いて青白くなっていた。
 
「シルは私を庇って、呪いを受けたんだ」 

 ネストレは今にも泣きそうな顔で、声を絞り出して、言葉を吐き出す。
 
「作戦は上手くいって、オルメキア王国の宰相とイルム王国の貴族の二人の取引現場を押さえることができた。おまけに、オルメキア王国の宰相はラグナ殿下を殺そうとして怪我を負わせたから、処刑は免れないだろう。ただ……オルメキア王国の宰相が自棄になって、呪術を使い始めたんだ。建国祭前に私を殺して、エイレーネ王国とオルメキア王国を仲違いさせるつもりだったのだろう」

 フレイヤはただ絶句して、その場に立ち尽くす。
 
 国のために尽くすべき宰相が、自分の思うようにいかなければ、国の破滅を招こうとするなんて、あまりにも身勝手で浅慮だ。

「治癒魔法が効かないし、オルメキア王国の宰相を拷問したが、解呪の方法がまだないらしい。……だから、ルアルディ殿を頼りに来た。ルアルディ殿の香水なら、私を呪いから助けてくれた時のように、奇跡を起こしてくれるかもしれないと、思ったんだ」
「で、ですが、私は必ずしも奇跡を起こせるわけではありません……」
 
 聖属性の魔力を使えば、もしかすると、呪いを解呪することができるかもしれない。
 しかし、まだ使い方が分からないのだ。

(シルヴェリオ様を助けたい。でも、どうしたらいいの……?)
 
 悩みながらも、焦る気持ちがフレイヤの足を扉に向けさせる。
 早く、シルヴェリオのもとへ行って、助けたい。

(前に、私が作る香水に魔法が込められていると、シルヴェリオ様が言っていた。……ということは、香水を作れば、そこに聖属性の魔力を込められて、シルヴェリオ様を助けられるかもしれない……!) 

 そのためには、調香するための道具が必要だ。
 フレイヤは振り返って、ネストレに顔を向ける。
 
「あ、あの……。調香するためのトランクを取りに行ってもいいでしょうか?」
「わかった。ルアルディ殿の家に立ち寄ってから、王宮へ向かおう」
「ありがとうございます。――コルティノーヴィス伯爵、すみませんが、コルティノーヴィス領産のバラの精油をいただけますか?」 
「わかった。屋敷内にあるから、それを渡そう」

 ヴェーラはそう言うと、すぐにリベラトーレに命じて、バラの精油を用意させる。
 そして、溺愛している弟を心配するヴェーラもまた、一緒に王宮へ行くこととなった。
 ヴェーラが申し出て、ネストレが許可したのだ。

 こうして、フレイヤとオルフェン、ネストレにヴェーラを乗せた馬車が、朝を迎えて活気づき始めた王都の道を、風のように通り抜けていった。
 
     ***
 
 王宮に到着したフレイヤは、すぐに医務室へと連れて行かれた。
 ネストレの説明によると、医務室は、王宮の使用人や騎士団の騎士に魔導士団の魔導士たちが診察を受けることができる場所だそうだ。

 中は白色の壁と床で清潔感のある雰囲気で、手前に診察スペースがあり、その奥のカーテンを挟んだ向こう側に寝台が並んでいる。
 各寝台ごとに天蓋が付いており、いくつかはカーテンが閉まっているから、誰かが利用しているようだ。
 
「シルは、あそこで眠っている」

 ネストレが指差す先を見ると、司祭や魔導士が十人ほど集まっている寝台があった。
 そこには、女性の司祭に体を支えられて立っている、ラグナの姿もある。

 シルヴェリオを見つめるラグナの横顔は、やるせない想いを抱いているように見えた。
 
(司祭様や魔導士たちが手を尽くしても、まだ呪いが解けていないんだ……)
 
 フレイヤの心臓が、大きく脈を打つ。
 トランクの持ち手を握る手に力を入れて、ネストレの後に続いてその寝台に歩み寄った。
 
 人だかりは、ネストレの訪れとともに寝台から離れていく。
 そうして見渡しが良くなると――胸元を手で掴んで苦しそうに呻くシルヴェリオの姿が見えた。
 髪は解いており、紫色の髪がシルヴェリオの動きに合わせて揺れている。
 そして、彼の顔や手には、黒色の記号のようなものが浮かんでおり、それらが緑色の光を仄かに放っていた。
 
「シルヴェリオ!」 

 ヴェーラは取り乱したような声で名前を呼ぶと、シルヴェリオに駆け寄って、手を取った。

「苦しいだろうが、どうか、耐えてくれ。シルヴェリオまで……失いたくない」

 赤い瞳から、涙が次々と零れ落ちる。 
 誰もがその様子を見守る中、オルフェンがシルヴェリオに近寄って、しげしげと観察をし始めた。
 
『初めて見る呪術だけど……どうにかできるかもしれない』 
 
 ぽつり、とオルフェンが呟く。
 
『ねえ、僕とフレイヤ以外、この部屋から出ていってくれる?』

 オルフェンは魔法を使って、ヴェーラをシルヴェリオから引き離した。ふらりと体が傾いたヴェーラを、ネストレが受け止める。
 次にオルフェンは、いくつか呪文を唱えて、あっという間に寝台の周りに大きな白色の壁を作った。
 
『外部からの魔法を遮断したから、ここでの会話は聞かれないよ。だから、フレイヤが持つ聖属性の魔力を試そう』 
「ど、どうやって?」 
『フレイヤはシルヴェリオの回復を願いながら、香水を作ってくれる? 今のシルヴェリオには、闇属性の魔力を合わせた呪術がかけられているから、フレイヤがもつ聖属性の魔力で、闇属性の魔力を打ち消そう。その後、僕が呪術の術式を解析して、解呪するよ』
「わかった。……だけど、私に聖属性の魔力を扱うことが、できるかな?」
『今まで通り、香水の中に入れるようにしたら、できるんじゃないかな。フレイヤだって、そのつもりで持ってきたんでしょ?』
「うん……。やってみるね」

 フレイヤは寝台の端を拝借して、トランクを開けた。
 作る香りは、もう決まっている。

 最初にトランクから取り出した精油は、コルティノーヴィス領産のバラ。
 シルヴェリオのために調香するなら、彼にとって思い入れのある、この花の香りをぜひ取り入れたかった。

 続いて取り出したのは、黄金の実の精油だ。
 柑橘系の爽やかな香りを織り交ぜて、シルヴェリオにリフレッシュしてもらいたい。

 最後に取り出したのは、パチュリという名の、やや土の匂いがする薬草の精油だ。
 これを加えると、バラの香りが華やか過ぎず、落ち着きのある香りとなるから、シルヴェリオが纏う香りとしてピッタリな気がした。
 それに、パチュリの香りにはリラックス効果があるのだ。

(シルヴェリオ様にかけられた闇属性の魔力を打ち消して、シルヴェリオ様が回復しますように)

 祈りを込めながら、調香する。 
 そうして完成した香水を二回ほど、シルヴェリオに吹きかけると、淡い光が現れてシルヴェリオを包む。
 途端に、シルヴェリオの体から、どこか禍々しい気配を放つ黒い影が立ち昇る。

『闇属性の魔力が、光属性の魔力に反応して、逃げだし始めた!』
「こ、これが……闇属性の魔力……」
 
 フレイヤは、恐怖に震えながら、黒い影を見つめる。
 怖いけど、シルヴェリオを助けたいという想いが強くて、逃げ出さなかった。
 
 黒い影は、そのまま淡い光に包まれて消えた。

『よかった! これで、解析と解呪がしやすくなると思う』

 オルフェンは安堵した表情を浮かべたが、すぐに神妙な面持ちで、フレイヤに向き合う。
 薄荷色の瞳は、どこか不安げに揺れている。
  
『フレイヤだけに話すよ。僕はね、聖属性の魔力と闇属性の魔力に、土属性の魔力が合わさって生まれた妖精なんだ。だから、闇属性の魔法を使える。聖属性の魔力は、ほんの少ししかないから、かすり傷も治せないのだけどね』
「……っ」

 フレイヤは息を呑んだ。
 
 闇属性の魔力を持つ者は少ないため、稀少な存在だ。
 しかし、闇属性の魔力は危険な力でもあるため、その力を持つ者は忌避される。

「もしかして、闇属性の魔法を研究しているのは……闇属性の魔力を使いこなす仲間を増やしたかったから? 一部の人だけが闇属性の魔力を持っていると、持っていない多数の人たちが怖がるから……寂しい想いをしてきたのね……」 
『……そうだね。幼い頃に、闇属性の魔力を持っているから怖がられることが、寂しかった。その想いが、研究を始めたきっかけだよ』

 悲しそうに目を伏せたオルフェンは、シルヴェリオに向かって、手を翳す。

『だから、闇属性の魔力は悪用しなければ怖くないし、役に立つのだと、証明したい』

 オルフェンは小さく息を吐くと、魔法の呪文を唱えた。
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