追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。
143.姉の密かな願い
コルティノーヴィス伯爵家の王都の屋敷に到着したシルヴェリオは、リベラトーレの案内でヴェーラの執務室へ向かう。
昨夜の事件の影響か、屋敷の中の空気が張り詰めている。
行き交う使用人たちの表情には、不安と怯えが入り混じっていた。
無理もない。毒殺未遂の疑いをかけられているのだから、たとえ犯人ではなくても、不安で仕方がないだろう。
「ヴェーラ様、シルヴェリオ様をお連れしました」
執務室の前に到着すると、リベラトーレが中にいるヴェーラに声をかけた後、扉を開く。
中に入ったシルヴェリオは、椅子に腰かけて悠然と微笑みかけてくるヴェーラを見て安堵したようで、強張っていた体の力を解く。
ヴェーラが血を吐いたと聞いて以来、シルヴェリオの脳裏には衰弱していく義母の姿があった。
彼女と面差しが似たヴェーラもまた、衰弱して自分の前から消えてしまうのではないかと、密かに恐れていたのだ。
とはいえ、注視すると、ヴェーラの顔色は悪い。
笑みを浮かべているが、実際はまだ毒の影響を受けて苦しい状態なのだろう。
シルヴェリオは拳を握りしめた。
姉を苦しめた犯人が許せない。
「シルヴェリオ、忙しいのに仕事を休んで来てもらって、すまないな」
ヴェーラは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
シルヴェリオは緩やかに首を横に振る。
「そのようなことを仰らないでください。姉上の身に危険が及んだのですから、本当は昨夜のうちに駆けつけるべきでした」
「嬉しい言葉だが、仕事と自分の健康を優先してくれ。建国祭前に起きた異国の貴族たちが起こした事件の後処理に追われているのだとリベラトーレから聞いているぞ。ここに来るために、無理をしてくれたのではないか?」
「……優秀な部下がいるので、大丈夫です」
「そうか。香水工房だけではなく、黒の魔塔でも人に恵まれているようで、安心したよ」
ヴェーラは目元を綻ばせて微笑んだ。
その面差しは、かつてシルヴェリオに気にかけてくれた義母を彷彿とさせる。
温かさと安心感を与えてくれる、優しい微笑みだ。
(姉上も、義母上のように、俺のことを気にかけてくれているのだな)
改めて、思い知るのだった。
そうとは知らず、随分と長い間、彼女を避けていたことを悔いる。
自分はコルティノーヴィス伯爵家には相応しくない人間だからと思って離れていた間にも、姉は当主としての仕事に加えて家臣たちを相手に苦労してきたのだ。
その間、シルヴェリオはコルティノーヴィス伯爵家のことには我関せずといった態度を貫いてきた。
だというのに、姉は今までに一度も咎めてこない。
それどころか、和解してからはシルヴェリオを助けてくれたり、シルヴェリオが呪いにかかった時は駆けつけてくれた。
(俺は今も、自分はコルティノーヴィス伯爵家から出るべきだし、関わるべきではないと思っているが――それでも、姉上と向き合って、力になりたい……)
幼かった頃とは違い、今は魔導士としての力もある。
だから、今度こそは――自分を大切にしてくれる人を守りたい。
決心したシルヴェリオは、神妙な面持ちでヴェーラの赤い瞳を見つめた。
「姉上、捜査に協力させてください。それと――俺が力になれることがあれば、言ってください。姉上の負担を、減らしたいです」
「……!」
ヴェーラは息を呑み、大きく目を見開いた。
少しの沈黙の後、ヴェーラは指先でさっと目元を拭った。
「ありがとう。シルヴェリオがいてくれると心強い」
赤い瞳が、微かに潤んでいる。
目元を拭ったのは――涙が流れていたからなのだろうか。
姉が泣く姿を見たことは一度もないため、シルヴェリオは思わず目を見張った。
「あ~あ、どうして私の前では見せてくれない表情ばかり浮かべるのかなぁ」
背後でリベラトーレの小言が聞こえてきたが、シルヴェリオは聞かなかったことにする。
「さて、リベラトーレ。ソファに座りたいから手を貸してくれ」
「は~い、かしこまりました~」
ヴェーラの指示に応じたリベラトーレは、速やかにヴェーラへと歩み寄ると、椅子から立ち上がろうとしたヴェーラを横向きに抱き上げる。
そのまま、部屋の隅にあるソファへとスタスタと歩み寄り、丁重にヴェーラを下ろした。
「……手を貸すように命令したのだが、なぜ抱き上げた?」
「僭越ながら、まだご自身の足で歩くのはよろしくないと判断したので、少しでもヴェーラ様の体力を消耗しない手段をとりました~」
「はあ、お前は本当に聞き分けの悪い犬だな」
「ありがたきお言葉です」
「褒めてはいない」
二人のやり取りを、シルヴェリオは呆然と見つめている。
リベラトーレは相変わらず、ヴェーラとの距離が近い。
突っ込みたい気持ちを抑えているシルヴェリオは、ヴェーラに促されて差し向かいのソファに腰かけた。
すると、二人の間にあるテーブルの上に、リベラトーレが魔法で資料を置いていく。
「これらは、今のところ分かったことをまとめた資料だ」
シルヴェリオは、ざっと書類に目を通した。
毒の種類はまだ、特定できていない。
しかし、解毒した司祭の見解では、毒が入っていたであろう飲食物を摂取してから毒の効果が出るまでに時間がかかっていたため、以前から少量ずつ同じ毒を飲まされていたのではないかということだ。
ヴェーラの話によると、血を吐いた直前の夕食で出された料理は、普段よりも香りが強かったが、味は変わりなかったようだ。
(もしかすると、毒の香りを隠すために、敢えて匂いが強い食事にしたのか?)
とはいえ、毒の種類によって発する香りが異なるため、香りが分からないのであれば調べようもない。
(念のため、姉上が使った食器に解析魔法をかけてみるか……)
ヴェーラが食事に使った食器は大半が厨房にいる使用人たちの手で洗われていたが、執事頭が食器洗いを止めるよう指示したおかげで少しは残っている。
毒の解析を指定して魔法をかけてみれば、検出できるかもしれない。
「姉上、まだ洗っていない食器を持ってきてください。解析魔法をかけてみます」
「わかった。――リベラトーレ、食器を持ってきてくれ」
「承知しました~」
リベラトーレが退室すると、部屋の中は先ほどよりも静謐な空気を帯びた。
シルヴェリオはちらとヴェーラを盗み見る。
洗練された所作で紅茶を飲んでいたヴェーラがその視線に気づき、微かに首を傾げてきた。
「もの言いたげな顔をしているな。何かあったのか?」
「……今この時にお話しすべきか迷ったのですが――リベラトーレとは恋仲なのでしょうか?」
「……」
ヴェーラはまたひと口、紅茶を飲む。
少しの動揺もなく、いつも通り悠然としていた。
しかし、ティーカップを持つ手は、毒の影響で痺れているのか、微かに震えている。
「なぜ、そう思う?」
「リベラトーレの度が過ぎた態度を許容しており、また、彼が姉上の縁談を潰していることを黙認しているからです。姉上ともあろう方が、リベラトーレの暗躍に気付かないわけがありませんでしょう?」
「……そうだな。全て把握している」
ヴェーラはゆったりとした所作でティーカップとソーサーをテーブルの上に戻すと、眉尻を下げて微笑んだ。
「実は、我慢比べをしているのだ」
「我慢比べ……?」
「もしもこの先も私が縁談を成立できなければ――家臣たちが私の婿に求める条件を下げてくるのではないかと企んでいる。……たとえ、これまでコルティノーヴィス伯爵家に仕えてきた男爵家の令息であったとしても、許容せざるを得ないくるのではないかと思っていてな」
「……そうですか」
シルヴェリオは言外に理解した。
姉は、リベラトーレを愛しているのだと。
ヴェーラはいつになく、自嘲めいた表情を浮かべた。
「当主だというのに、家の利益より自分の気持ちを優先する私は、身勝手だろう?」
「いいえ、俺は姉上の味方です。姉上の願いが叶うように、今度、フレイさんの香水を贈りますよ。祝福の調香師が作った香水ですから、姉上を助けてくれるはずです」
「……ありがとう。心強いな」
シルヴェリオとヴェーラは、顔を見合わせて微笑んだ。
昨夜の事件の影響か、屋敷の中の空気が張り詰めている。
行き交う使用人たちの表情には、不安と怯えが入り混じっていた。
無理もない。毒殺未遂の疑いをかけられているのだから、たとえ犯人ではなくても、不安で仕方がないだろう。
「ヴェーラ様、シルヴェリオ様をお連れしました」
執務室の前に到着すると、リベラトーレが中にいるヴェーラに声をかけた後、扉を開く。
中に入ったシルヴェリオは、椅子に腰かけて悠然と微笑みかけてくるヴェーラを見て安堵したようで、強張っていた体の力を解く。
ヴェーラが血を吐いたと聞いて以来、シルヴェリオの脳裏には衰弱していく義母の姿があった。
彼女と面差しが似たヴェーラもまた、衰弱して自分の前から消えてしまうのではないかと、密かに恐れていたのだ。
とはいえ、注視すると、ヴェーラの顔色は悪い。
笑みを浮かべているが、実際はまだ毒の影響を受けて苦しい状態なのだろう。
シルヴェリオは拳を握りしめた。
姉を苦しめた犯人が許せない。
「シルヴェリオ、忙しいのに仕事を休んで来てもらって、すまないな」
ヴェーラは申し訳なさそうに眉尻を下げた。
シルヴェリオは緩やかに首を横に振る。
「そのようなことを仰らないでください。姉上の身に危険が及んだのですから、本当は昨夜のうちに駆けつけるべきでした」
「嬉しい言葉だが、仕事と自分の健康を優先してくれ。建国祭前に起きた異国の貴族たちが起こした事件の後処理に追われているのだとリベラトーレから聞いているぞ。ここに来るために、無理をしてくれたのではないか?」
「……優秀な部下がいるので、大丈夫です」
「そうか。香水工房だけではなく、黒の魔塔でも人に恵まれているようで、安心したよ」
ヴェーラは目元を綻ばせて微笑んだ。
その面差しは、かつてシルヴェリオに気にかけてくれた義母を彷彿とさせる。
温かさと安心感を与えてくれる、優しい微笑みだ。
(姉上も、義母上のように、俺のことを気にかけてくれているのだな)
改めて、思い知るのだった。
そうとは知らず、随分と長い間、彼女を避けていたことを悔いる。
自分はコルティノーヴィス伯爵家には相応しくない人間だからと思って離れていた間にも、姉は当主としての仕事に加えて家臣たちを相手に苦労してきたのだ。
その間、シルヴェリオはコルティノーヴィス伯爵家のことには我関せずといった態度を貫いてきた。
だというのに、姉は今までに一度も咎めてこない。
それどころか、和解してからはシルヴェリオを助けてくれたり、シルヴェリオが呪いにかかった時は駆けつけてくれた。
(俺は今も、自分はコルティノーヴィス伯爵家から出るべきだし、関わるべきではないと思っているが――それでも、姉上と向き合って、力になりたい……)
幼かった頃とは違い、今は魔導士としての力もある。
だから、今度こそは――自分を大切にしてくれる人を守りたい。
決心したシルヴェリオは、神妙な面持ちでヴェーラの赤い瞳を見つめた。
「姉上、捜査に協力させてください。それと――俺が力になれることがあれば、言ってください。姉上の負担を、減らしたいです」
「……!」
ヴェーラは息を呑み、大きく目を見開いた。
少しの沈黙の後、ヴェーラは指先でさっと目元を拭った。
「ありがとう。シルヴェリオがいてくれると心強い」
赤い瞳が、微かに潤んでいる。
目元を拭ったのは――涙が流れていたからなのだろうか。
姉が泣く姿を見たことは一度もないため、シルヴェリオは思わず目を見張った。
「あ~あ、どうして私の前では見せてくれない表情ばかり浮かべるのかなぁ」
背後でリベラトーレの小言が聞こえてきたが、シルヴェリオは聞かなかったことにする。
「さて、リベラトーレ。ソファに座りたいから手を貸してくれ」
「は~い、かしこまりました~」
ヴェーラの指示に応じたリベラトーレは、速やかにヴェーラへと歩み寄ると、椅子から立ち上がろうとしたヴェーラを横向きに抱き上げる。
そのまま、部屋の隅にあるソファへとスタスタと歩み寄り、丁重にヴェーラを下ろした。
「……手を貸すように命令したのだが、なぜ抱き上げた?」
「僭越ながら、まだご自身の足で歩くのはよろしくないと判断したので、少しでもヴェーラ様の体力を消耗しない手段をとりました~」
「はあ、お前は本当に聞き分けの悪い犬だな」
「ありがたきお言葉です」
「褒めてはいない」
二人のやり取りを、シルヴェリオは呆然と見つめている。
リベラトーレは相変わらず、ヴェーラとの距離が近い。
突っ込みたい気持ちを抑えているシルヴェリオは、ヴェーラに促されて差し向かいのソファに腰かけた。
すると、二人の間にあるテーブルの上に、リベラトーレが魔法で資料を置いていく。
「これらは、今のところ分かったことをまとめた資料だ」
シルヴェリオは、ざっと書類に目を通した。
毒の種類はまだ、特定できていない。
しかし、解毒した司祭の見解では、毒が入っていたであろう飲食物を摂取してから毒の効果が出るまでに時間がかかっていたため、以前から少量ずつ同じ毒を飲まされていたのではないかということだ。
ヴェーラの話によると、血を吐いた直前の夕食で出された料理は、普段よりも香りが強かったが、味は変わりなかったようだ。
(もしかすると、毒の香りを隠すために、敢えて匂いが強い食事にしたのか?)
とはいえ、毒の種類によって発する香りが異なるため、香りが分からないのであれば調べようもない。
(念のため、姉上が使った食器に解析魔法をかけてみるか……)
ヴェーラが食事に使った食器は大半が厨房にいる使用人たちの手で洗われていたが、執事頭が食器洗いを止めるよう指示したおかげで少しは残っている。
毒の解析を指定して魔法をかけてみれば、検出できるかもしれない。
「姉上、まだ洗っていない食器を持ってきてください。解析魔法をかけてみます」
「わかった。――リベラトーレ、食器を持ってきてくれ」
「承知しました~」
リベラトーレが退室すると、部屋の中は先ほどよりも静謐な空気を帯びた。
シルヴェリオはちらとヴェーラを盗み見る。
洗練された所作で紅茶を飲んでいたヴェーラがその視線に気づき、微かに首を傾げてきた。
「もの言いたげな顔をしているな。何かあったのか?」
「……今この時にお話しすべきか迷ったのですが――リベラトーレとは恋仲なのでしょうか?」
「……」
ヴェーラはまたひと口、紅茶を飲む。
少しの動揺もなく、いつも通り悠然としていた。
しかし、ティーカップを持つ手は、毒の影響で痺れているのか、微かに震えている。
「なぜ、そう思う?」
「リベラトーレの度が過ぎた態度を許容しており、また、彼が姉上の縁談を潰していることを黙認しているからです。姉上ともあろう方が、リベラトーレの暗躍に気付かないわけがありませんでしょう?」
「……そうだな。全て把握している」
ヴェーラはゆったりとした所作でティーカップとソーサーをテーブルの上に戻すと、眉尻を下げて微笑んだ。
「実は、我慢比べをしているのだ」
「我慢比べ……?」
「もしもこの先も私が縁談を成立できなければ――家臣たちが私の婿に求める条件を下げてくるのではないかと企んでいる。……たとえ、これまでコルティノーヴィス伯爵家に仕えてきた男爵家の令息であったとしても、許容せざるを得ないくるのではないかと思っていてな」
「……そうですか」
シルヴェリオは言外に理解した。
姉は、リベラトーレを愛しているのだと。
ヴェーラはいつになく、自嘲めいた表情を浮かべた。
「当主だというのに、家の利益より自分の気持ちを優先する私は、身勝手だろう?」
「いいえ、俺は姉上の味方です。姉上の願いが叶うように、今度、フレイさんの香水を贈りますよ。祝福の調香師が作った香水ですから、姉上を助けてくれるはずです」
「……ありがとう。心強いな」
シルヴェリオとヴェーラは、顔を見合わせて微笑んだ。