追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。
167.甘い提案
初めに、ヴェーラとリベラトーレがファーストダンスを踊り始める。
通常であればその場にいる最も身分の高い者から踊り始めるといった決まりがあるのだが、ネストレが「二人の結婚が発表された記念すべき舞踏会なのだから、ぜひコルティノーヴィス伯爵とステンダルディ卿が踊るべきだ」と辞退したのだ。
シャンデリアの下でヴェーラの白金色の髪はいつもに増して輝きを纏い、まるで精霊のようだ。
いつもの男装の麗人のような服装も彼女の泰然とした雰囲気や美貌を引き立てており素敵だが、ドレス姿も彼女の持つ優雅さを最大限に引き出しており、目を奪われるほど美しい。
まるで一枚の絵画を見ているようだと思いながら見守っていると、あっという間に二人のダンスが終わった。
拍手が湧き起こった後、招待客たちがダンスフロアへと移動し始める。いよいよ、自分も踊る番だ。
隣にいるシルヴェリオが手を差し伸べてくる。
「さあ、行こう」
「は、はい……」
差し出された手を取り、二人で歩みを進める。
何度も広間でダンスの練習をしてきたから馴染みがある場所のはずなのに、客人がいると、まるで知らない場所のようだ。
周囲から視線を感じるような気がすることも相まって、気持ちが張りつめる。
立ち止まり、シルヴェリオの肩に手を乗せると、彼との距離がぐっと縮まった。
普段とは異なる状況の中で、自分を見つめてくれる深い青色の瞳が夜空に瞬く北極星のように唯一変わらない存在として寄り添ってくれているような気がする。
ダンスの練習中はシルヴェリオを意識してしまうせいで、目が合うだけで心がかき乱されていたのに今は安心するなんて不思議だ。
そのようなことを考えていると演奏が始まったため、音楽に合わせて体を動かす。
旋律や、シルヴェリオの動きに意識を向ける。
深い青色の目が、柔らかく眇められた。
「緊張しているのか?」
「はい、とても。口から心臓が飛び出しそうです」
「周りの視線は気にせず、俺だけを見ていればいい」
「~~っ!」
思わせぶりな言葉に驚いて息を呑んでしまったが、一拍置いて、アドバイスだと気付く。
周囲の視線を気にすれば尚更緊張するから、予防として見慣れている顔を見ていればいいということなのだろう。
勘違いしてしまって恥ずかしいが、俯こうとする頭を叱咤してシルヴェリオを見つめ続ける。
自分はいま、どのような表情を浮かべているのだろう。変な顔をしてしまっていないか心配だ。
「ネストレ殿下とのダンスが終わったら、会場内にある菓子を食べて休憩するといい。今日は姉上がフレイさんのためにいつもより取り寄せる菓子の種類を増やしたそうだ」
「いろんなお菓子……!」
会場内に入った時、隅に料理やお菓子が置かれたテーブルがいくつかあることに気づいており、密かに気になっていた。
遠目から見ると塔のように並べられた色とりどりのマカロンや、切り分けられたケーキなどが見えていたが、他にも美味しそうなお菓子がありそうだ。
すっかりお菓子のことに気を盗られてしまったが、慌てて頭の奥へと押しやる。
「とても魅力的ですけど、まだ新しい香りの紹介を終えていないので我慢します」
「フレイさんが菓子の誘惑に勝つとは珍しい」
「もうっ、私はそんなにも食い意地が張っているわけではありませんよ!」
「あははっ。そんな風には思っていない。ただ、いつもなら菓子の事となれば嬉々として食べるから、珍しいと思っただけだ。新しい香りの紹介が終わったら、ゆっくりと食べよう」
お菓子の事を考えたからなのか、もしくはシルヴェリオとの会話のおかげか、先ほどよりも緊張が解けて、踊りやすくなった気がした。
それからは、あっという間に時間が過ぎたようだった。音楽が終わったため、シルヴェリオと向き合ってお互いに礼をとる。すると、ネストレがダンスフロアに現れた。
周りの招待客が騒めく声が聞こえてきた。先ほどよりも多くの視線を感じる。
もとより注目されることが苦手なため、できることならこの場から逃げ出したい。
「ルアルディ殿、約束通り、お次は私と踊っていただけますか?」
「よろこんで」
練習した笑顔を貼り付けて応えているが、心の中では悲鳴を上げている。
粗相をすることなく無事に踊り終えられるだろうか。
彼と片手を繋ぎ、近づいた時、『夜明けの大樹』の香りがした。
自分が調香した香りがすると、少しだけ心が落ち着く。
音楽が始まると、ネストレがリードするように動き始める。
シルヴェリオのリードにも助けられたが、ネストレのリードは初心者への対処が手慣れているように感じた。
本人はあまり社交に出ていないと言っていたが、王族だからそれなりに参加していたほうなのかもしれない。
「シルとのダンス、とても上手だったよ」
「恐縮です……。シルヴェリオにリードしていただいたから、どうにか踊れました」
「謙遜しなくていい。この日のためにたくさん練習したのだと、シルから聞いた。ルアルディ殿は本当に努力家だね」
褒めてもらうと、「あなたの足を踏んだら不敬罪に問われそうで怖くて練習しました」なんて言えない。褒めてもらえなくても、言えないのだけれど。
どのように答えたらいいのかわからず、曖昧に微笑む。
「ルアルディ殿は貴族の基本的な作法を身につけているし、所作も申し分ない。貴族家の養子となるのはどうだろうか?」
「……?」
あまりにも唐突な提案に、目が点になる。ネストレの質問の意図が分からなかった。
「貴族家の養子になる必要はないかと……。私は平民として育ってきましたし、故郷には家族がいますから……」
「権力を持つ者から身を守るためには必要なことだよ。気づいていないかもしれないが、ルアルディ殿は注目されているから、君を利用しようとする貴族がいるだろう。シルとコルティノーヴィス伯爵が守っているから問題ないとはいえ、不測の事態に備えておいたほうがいい。もしも貴族家の養子になるなら、コルティノーヴィス伯爵や私たち王族は支援を惜しまない。それに、ルアルディ殿は努力家だから、すぐに馴染めるはずさ」
そう言えば、舞踏会の打合せの際に、ヴェーラから似たような話題を聞いたような気がする。
最近はシルヴェリオを始めとした良心的な貴族との交流がほとんどだったから忘れかけていたけれど、権力者が権力を持たない者に対してどのように非道に振舞うのか知っている。
平民だがカルディナーレ香水工房の元工房長だったアベラルドの横暴さも自分にとっては苦痛だった。身分制度の上段にいる貴族に利用されたら、いったいどうなってしまうのだろう。
「怯えさせてすまない。あくまで不測の事態に備えての提案だ。しかし、貴族になれば叶えられる事が増えるという利点があるから、前向きに検討してくれると嬉しい。身分の差があるからできなかったことが、叶えられるようになるんだ」
そう話すネストレの視線がスイと動く。何を見ているのか気になり、視線を追いかけた先には――シルヴェリオがいた。
もしかして、シルヴェリオへの想いを気づかれているのだろうか。
そのような予感がして、息が止まりそうになった。気づけば、背中に冷や汗をかいている。
身分差のある恋は悲劇に終わることが多い。貴族たちは自分たちの領域に入ってこようとする平民に容赦しないのだ。
貴族と対等に渡り合えるほどの財力を持つ商家なら話が変わるだろうが、それでも批判は避けられない。
「ですが、私は……今の生活に満足しています。安全面の事を考えるとたしかに不安ですが……」
「……そうか。もしも気が向いたら相談してくれ」
「はい……」
もしも気づいているとして、ネストレはどう思っているのか気になるが、効く勇気はなかった。
いつか終わらせないといけない片思いなのだから、もう忘れよう。自分にそう言い聞かせて、ダンスに集中した。
通常であればその場にいる最も身分の高い者から踊り始めるといった決まりがあるのだが、ネストレが「二人の結婚が発表された記念すべき舞踏会なのだから、ぜひコルティノーヴィス伯爵とステンダルディ卿が踊るべきだ」と辞退したのだ。
シャンデリアの下でヴェーラの白金色の髪はいつもに増して輝きを纏い、まるで精霊のようだ。
いつもの男装の麗人のような服装も彼女の泰然とした雰囲気や美貌を引き立てており素敵だが、ドレス姿も彼女の持つ優雅さを最大限に引き出しており、目を奪われるほど美しい。
まるで一枚の絵画を見ているようだと思いながら見守っていると、あっという間に二人のダンスが終わった。
拍手が湧き起こった後、招待客たちがダンスフロアへと移動し始める。いよいよ、自分も踊る番だ。
隣にいるシルヴェリオが手を差し伸べてくる。
「さあ、行こう」
「は、はい……」
差し出された手を取り、二人で歩みを進める。
何度も広間でダンスの練習をしてきたから馴染みがある場所のはずなのに、客人がいると、まるで知らない場所のようだ。
周囲から視線を感じるような気がすることも相まって、気持ちが張りつめる。
立ち止まり、シルヴェリオの肩に手を乗せると、彼との距離がぐっと縮まった。
普段とは異なる状況の中で、自分を見つめてくれる深い青色の瞳が夜空に瞬く北極星のように唯一変わらない存在として寄り添ってくれているような気がする。
ダンスの練習中はシルヴェリオを意識してしまうせいで、目が合うだけで心がかき乱されていたのに今は安心するなんて不思議だ。
そのようなことを考えていると演奏が始まったため、音楽に合わせて体を動かす。
旋律や、シルヴェリオの動きに意識を向ける。
深い青色の目が、柔らかく眇められた。
「緊張しているのか?」
「はい、とても。口から心臓が飛び出しそうです」
「周りの視線は気にせず、俺だけを見ていればいい」
「~~っ!」
思わせぶりな言葉に驚いて息を呑んでしまったが、一拍置いて、アドバイスだと気付く。
周囲の視線を気にすれば尚更緊張するから、予防として見慣れている顔を見ていればいいということなのだろう。
勘違いしてしまって恥ずかしいが、俯こうとする頭を叱咤してシルヴェリオを見つめ続ける。
自分はいま、どのような表情を浮かべているのだろう。変な顔をしてしまっていないか心配だ。
「ネストレ殿下とのダンスが終わったら、会場内にある菓子を食べて休憩するといい。今日は姉上がフレイさんのためにいつもより取り寄せる菓子の種類を増やしたそうだ」
「いろんなお菓子……!」
会場内に入った時、隅に料理やお菓子が置かれたテーブルがいくつかあることに気づいており、密かに気になっていた。
遠目から見ると塔のように並べられた色とりどりのマカロンや、切り分けられたケーキなどが見えていたが、他にも美味しそうなお菓子がありそうだ。
すっかりお菓子のことに気を盗られてしまったが、慌てて頭の奥へと押しやる。
「とても魅力的ですけど、まだ新しい香りの紹介を終えていないので我慢します」
「フレイさんが菓子の誘惑に勝つとは珍しい」
「もうっ、私はそんなにも食い意地が張っているわけではありませんよ!」
「あははっ。そんな風には思っていない。ただ、いつもなら菓子の事となれば嬉々として食べるから、珍しいと思っただけだ。新しい香りの紹介が終わったら、ゆっくりと食べよう」
お菓子の事を考えたからなのか、もしくはシルヴェリオとの会話のおかげか、先ほどよりも緊張が解けて、踊りやすくなった気がした。
それからは、あっという間に時間が過ぎたようだった。音楽が終わったため、シルヴェリオと向き合ってお互いに礼をとる。すると、ネストレがダンスフロアに現れた。
周りの招待客が騒めく声が聞こえてきた。先ほどよりも多くの視線を感じる。
もとより注目されることが苦手なため、できることならこの場から逃げ出したい。
「ルアルディ殿、約束通り、お次は私と踊っていただけますか?」
「よろこんで」
練習した笑顔を貼り付けて応えているが、心の中では悲鳴を上げている。
粗相をすることなく無事に踊り終えられるだろうか。
彼と片手を繋ぎ、近づいた時、『夜明けの大樹』の香りがした。
自分が調香した香りがすると、少しだけ心が落ち着く。
音楽が始まると、ネストレがリードするように動き始める。
シルヴェリオのリードにも助けられたが、ネストレのリードは初心者への対処が手慣れているように感じた。
本人はあまり社交に出ていないと言っていたが、王族だからそれなりに参加していたほうなのかもしれない。
「シルとのダンス、とても上手だったよ」
「恐縮です……。シルヴェリオにリードしていただいたから、どうにか踊れました」
「謙遜しなくていい。この日のためにたくさん練習したのだと、シルから聞いた。ルアルディ殿は本当に努力家だね」
褒めてもらうと、「あなたの足を踏んだら不敬罪に問われそうで怖くて練習しました」なんて言えない。褒めてもらえなくても、言えないのだけれど。
どのように答えたらいいのかわからず、曖昧に微笑む。
「ルアルディ殿は貴族の基本的な作法を身につけているし、所作も申し分ない。貴族家の養子となるのはどうだろうか?」
「……?」
あまりにも唐突な提案に、目が点になる。ネストレの質問の意図が分からなかった。
「貴族家の養子になる必要はないかと……。私は平民として育ってきましたし、故郷には家族がいますから……」
「権力を持つ者から身を守るためには必要なことだよ。気づいていないかもしれないが、ルアルディ殿は注目されているから、君を利用しようとする貴族がいるだろう。シルとコルティノーヴィス伯爵が守っているから問題ないとはいえ、不測の事態に備えておいたほうがいい。もしも貴族家の養子になるなら、コルティノーヴィス伯爵や私たち王族は支援を惜しまない。それに、ルアルディ殿は努力家だから、すぐに馴染めるはずさ」
そう言えば、舞踏会の打合せの際に、ヴェーラから似たような話題を聞いたような気がする。
最近はシルヴェリオを始めとした良心的な貴族との交流がほとんどだったから忘れかけていたけれど、権力者が権力を持たない者に対してどのように非道に振舞うのか知っている。
平民だがカルディナーレ香水工房の元工房長だったアベラルドの横暴さも自分にとっては苦痛だった。身分制度の上段にいる貴族に利用されたら、いったいどうなってしまうのだろう。
「怯えさせてすまない。あくまで不測の事態に備えての提案だ。しかし、貴族になれば叶えられる事が増えるという利点があるから、前向きに検討してくれると嬉しい。身分の差があるからできなかったことが、叶えられるようになるんだ」
そう話すネストレの視線がスイと動く。何を見ているのか気になり、視線を追いかけた先には――シルヴェリオがいた。
もしかして、シルヴェリオへの想いを気づかれているのだろうか。
そのような予感がして、息が止まりそうになった。気づけば、背中に冷や汗をかいている。
身分差のある恋は悲劇に終わることが多い。貴族たちは自分たちの領域に入ってこようとする平民に容赦しないのだ。
貴族と対等に渡り合えるほどの財力を持つ商家なら話が変わるだろうが、それでも批判は避けられない。
「ですが、私は……今の生活に満足しています。安全面の事を考えるとたしかに不安ですが……」
「……そうか。もしも気が向いたら相談してくれ」
「はい……」
もしも気づいているとして、ネストレはどう思っているのか気になるが、効く勇気はなかった。
いつか終わらせないといけない片思いなのだから、もう忘れよう。自分にそう言い聞かせて、ダンスに集中した。


