追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。
93.香水と錬金術
今までに見たことがないほど落ち込むシルヴェリオを見て、ネストレは内心同情した。
しかし今は大切な打合せ中だ。ネストレは後でシルヴェリオを励まそうと決心すると、次の話題に移るためにオルフェンに話しかける。
「ところで、火の死霊竜にかけられた古の呪いは『死後も被術者の魂を苦しめる』という内容であっているだろうか?」
『うん、呪いをかけられたドラゴンは死んだ後も魂が彷徨っていたから君にかけられていた竜の呪いの効果が持続したのだろうね』
オルフェンの見立てによると、魂にかけられた呪術は精神汚染系の呪術と同じ部類に入るため、銀星杉を焚いた祈祷が効いたということらしい。
『それにしても、どうやって骨に描いたのか気になるなぁ』
オルフェンは資料に目を通し終えたようで、机の上に戻す。一番上にある、火の死霊竜の骨とそこに描かれている魔法文字の絵を指先でトントンと叩いた。
『今の魔法でも古代の魔法をもってしても、体内にある骨にこんなにも正確に描けるとは思えない。一部だけ肉を剥ぎ取れば描けるかもしれないけど、報告書にはそのような記載がないし、実際に火の死霊竜は体の一部が骨まで見えるほどの怪我を負っていたわけではないんだよね?』
「ああ、火の死霊竜に肉が欠けている箇所はなかった。苦しそうに藻掻いていたが、目だった傷は全くない状態だった」
シルヴェリオは緩慢な動きで首を横に振る。脳裏に当時の状況を浮かべると、眉間に皺を寄せた。
「討伐の時、俺たちは火の死霊竜がこれ以上街を荒らさないように街の外へ誘導した。その間に火の死霊竜が怪我した部位を庇って動く様子もなかったから、外傷はなかったはずだ」
『なるほどねぇ。体の外側は傷つけずに内側を傷つけたのかぁ……』
オルフェンは指先を資料から離すと、両手を組んでその上に顎を乗せる。
いつもは飄々としているオルフェンらしくない、どこか不安げな表情を浮かべている。
『一つ思い当たるのは……錬金術。東方の砂漠地帯にある国――イルム王国では、魔法を使える者はいないけど錬金術を使える者がいると聞いた事がある』
「錬金術……」
フレイヤは久しぶりに耳にしたその名前を口の中で転がす。
その昔、父方の祖父であるカリオから教えてもらったことがある。
錬金術もまた魔力を使うが、魔法とは異なる分類の奇跡の技だ。
魔法が自然界の要素を使うのに対して錬金術は物質を触媒にしてより高度な物質を生成する。
その技は非金属を貴金属にし、ただの水を特効薬に変えると聞く。
(たしか、香水が生まれるきっかけを作ったのは錬金術だった)
錬金術師たちの実験の最中に偶然生まれたのが、香水の前進となる‶香り水″だ。
もとは若返りの薬を作ろうとしたところ、若返りの効果は無いが香りの良い水が誕生した。触媒の一つであるバラの花の香りが水についたのだ。
上品な香りの水に神聖さを見出した権力階級がその水を儀式に使用したことから始まり、異国の商人がその香り水に目をつけてレシピを聞き出して大量生産したことで他国にも広まった。
フレイヤにとって錬金術とは、素晴らしい物を生み出す奇跡の技だ。
『錬金術が他国に流出した際に、おぞましい禁術が作られた。材料を揃えたら、命を生成できる術だよ』
「命を生成する? そのような許されざる術が存在するのか? そもそも、そのようなことが可能なのか?」
ネストレの声に緊張感が滲む。
フレイヤとシルヴェリオとレオナルドもまた同様を隠せないでいる。
その中で、ジュスタ男爵だけが表情を変えなかった。
『できるよ。そうして生成された生き物を、錬金術師たちは人造人間と呼んでいる。――ねえ、君は知っているようだね?』
オルフェンの薄荷色の目がジュスタ男爵に向く。
ジュスタ男爵は小さく首肯した。
「ええ、一度だけ耳にした事がありますが、実物を見たことは無いので半信半疑といったところです。私が聞いた話によると、人造人間が自分を生成した錬金術師を殺す事件が起きたから研究自体が禁止されたのだとか」
『僕もそう聞いている。人間の姿をしているけど、中身は魔物と大差ない化け物だそうだよ。だけど注目すべきなのはその化け物に理性があるかどうかではなく、その錬金術で命を生成できるというところだね』
「……まさか、今回の事件は人造人間の応用が使われていると?」
『そうだね。僕の見立てでは、古代魔法文字を刻印した火の死霊竜の骨を触媒として、人造人間の応用で騒動を起こした火の死霊竜を生成したのではないかと思う』
「――っ」
オルフェンとジュスタ男爵のやり取りを聞いたフレイヤは息を呑むと、両手で口元を覆った。
今の今まで素晴らしいものだと思っていた錬金術が恐ろしい生き物を生み出していたと知った衝撃は大きい。
そのままフレイヤが俯くと、シルヴェリオがすぐに気づいて声をかけた。
「フレイさん、大丈夫か? 顔色が悪いから、医務室で休んだ方がいい」
「いえ、ショックを受けただけですので大丈夫です」
フレイヤは慌てて顔と手を横に振る。
無理やり笑みを作ると、シルヴェリオの表情が曇る。
「……気分がすぐれない時は言ってくれ」
「ありがとうございます。ですが、本当に大丈夫なので気にしないでください」
シルヴェリオはやや躊躇いがちに視線を外すと、オルフェンに向ける。
「錬金術は魔法を使えないと聞いたが、魔法使いは錬金術を使えるのか? 今回の事件、魔法使いと錬金術師のどちらが関わっているのか目星をつけたい」
『使えるだろうけど、緻密に魔法を編める人じゃないと使えないだろうね。魔法使いが使う魔力は物を生成するには強過ぎるから、生成する前に物の性質を変えてしまうらしい。だから魔力の出力と属性魔力のバランスを程よくとれるような超人でないと使えないと思うよ』
「……よほど魔法に長けた人物であれば可能なのか」
「もしくは、魔法使いと魔術師が結託して今回の事件を引き起こしたかもしれません。その線も探ってみましょう」
レオナルドはそう口を挟むと、ネストレに視線を向ける。
「今回の建国祭には、イルム王国の王太子、アーディル殿下が来る予定でしたね。念のため彼も監視しておいた方がいいかと」
「ああ、アーディル殿は錬金術の研究に熱心だと噂を聞いたことがある。……温厚な印象はあるが、用心するに越したことはないな」
ネストレの話によると、アーディルは母親が錬金術師であるらしく、幼い頃から錬金術に触れる機会が多かったらしい。
年齢はフレイヤと同じでニ十歳。過去にはエイレーネ王国に一年ほど留学していた時期もあるらしい。
「ひとまずアーディル殿下と同じ年頃の貴族たちに、在学中の彼の様子を聞いてみよう。なにか手掛かりになるかもしれない。――それにしても、オルフェンの知見には助けられたな。おかげで捜査が前進したよ。魔導士団に入って研究者になってみてはどうだい?」
『嫌だね。僕は命じられて仕事するのは嫌いなんだ』
「もし気が向いたら、いつでも言ってくれ。それと、また捜査のことで相談したいから、その時はまた呼ばせてもらう」
『気が向いたら行くよ』
「ははっ、オルフェンが興味を持つ話題を用意しておかないといけないな」
ネストレは楽しそうに笑っているが、二人のやり取りを見ているフレイヤはハラハラとして気が気でない状態だ。
すっかり疲れ切った表情のフレイヤに、シルヴェリオが声をかける。
「打ち合わせはもう終わったから、ザッハトルテを食べに行こう」
「ザッハトルテ……!」
フレイヤの若草色の目がキラキラと輝く。
お目当てのケーキの名前を聞いて、元気を取り戻したようだ。
あまりにも早い回復に、シルヴェリオは思わず声を上げて笑ってしまうのだった。
しかし今は大切な打合せ中だ。ネストレは後でシルヴェリオを励まそうと決心すると、次の話題に移るためにオルフェンに話しかける。
「ところで、火の死霊竜にかけられた古の呪いは『死後も被術者の魂を苦しめる』という内容であっているだろうか?」
『うん、呪いをかけられたドラゴンは死んだ後も魂が彷徨っていたから君にかけられていた竜の呪いの効果が持続したのだろうね』
オルフェンの見立てによると、魂にかけられた呪術は精神汚染系の呪術と同じ部類に入るため、銀星杉を焚いた祈祷が効いたということらしい。
『それにしても、どうやって骨に描いたのか気になるなぁ』
オルフェンは資料に目を通し終えたようで、机の上に戻す。一番上にある、火の死霊竜の骨とそこに描かれている魔法文字の絵を指先でトントンと叩いた。
『今の魔法でも古代の魔法をもってしても、体内にある骨にこんなにも正確に描けるとは思えない。一部だけ肉を剥ぎ取れば描けるかもしれないけど、報告書にはそのような記載がないし、実際に火の死霊竜は体の一部が骨まで見えるほどの怪我を負っていたわけではないんだよね?』
「ああ、火の死霊竜に肉が欠けている箇所はなかった。苦しそうに藻掻いていたが、目だった傷は全くない状態だった」
シルヴェリオは緩慢な動きで首を横に振る。脳裏に当時の状況を浮かべると、眉間に皺を寄せた。
「討伐の時、俺たちは火の死霊竜がこれ以上街を荒らさないように街の外へ誘導した。その間に火の死霊竜が怪我した部位を庇って動く様子もなかったから、外傷はなかったはずだ」
『なるほどねぇ。体の外側は傷つけずに内側を傷つけたのかぁ……』
オルフェンは指先を資料から離すと、両手を組んでその上に顎を乗せる。
いつもは飄々としているオルフェンらしくない、どこか不安げな表情を浮かべている。
『一つ思い当たるのは……錬金術。東方の砂漠地帯にある国――イルム王国では、魔法を使える者はいないけど錬金術を使える者がいると聞いた事がある』
「錬金術……」
フレイヤは久しぶりに耳にしたその名前を口の中で転がす。
その昔、父方の祖父であるカリオから教えてもらったことがある。
錬金術もまた魔力を使うが、魔法とは異なる分類の奇跡の技だ。
魔法が自然界の要素を使うのに対して錬金術は物質を触媒にしてより高度な物質を生成する。
その技は非金属を貴金属にし、ただの水を特効薬に変えると聞く。
(たしか、香水が生まれるきっかけを作ったのは錬金術だった)
錬金術師たちの実験の最中に偶然生まれたのが、香水の前進となる‶香り水″だ。
もとは若返りの薬を作ろうとしたところ、若返りの効果は無いが香りの良い水が誕生した。触媒の一つであるバラの花の香りが水についたのだ。
上品な香りの水に神聖さを見出した権力階級がその水を儀式に使用したことから始まり、異国の商人がその香り水に目をつけてレシピを聞き出して大量生産したことで他国にも広まった。
フレイヤにとって錬金術とは、素晴らしい物を生み出す奇跡の技だ。
『錬金術が他国に流出した際に、おぞましい禁術が作られた。材料を揃えたら、命を生成できる術だよ』
「命を生成する? そのような許されざる術が存在するのか? そもそも、そのようなことが可能なのか?」
ネストレの声に緊張感が滲む。
フレイヤとシルヴェリオとレオナルドもまた同様を隠せないでいる。
その中で、ジュスタ男爵だけが表情を変えなかった。
『できるよ。そうして生成された生き物を、錬金術師たちは人造人間と呼んでいる。――ねえ、君は知っているようだね?』
オルフェンの薄荷色の目がジュスタ男爵に向く。
ジュスタ男爵は小さく首肯した。
「ええ、一度だけ耳にした事がありますが、実物を見たことは無いので半信半疑といったところです。私が聞いた話によると、人造人間が自分を生成した錬金術師を殺す事件が起きたから研究自体が禁止されたのだとか」
『僕もそう聞いている。人間の姿をしているけど、中身は魔物と大差ない化け物だそうだよ。だけど注目すべきなのはその化け物に理性があるかどうかではなく、その錬金術で命を生成できるというところだね』
「……まさか、今回の事件は人造人間の応用が使われていると?」
『そうだね。僕の見立てでは、古代魔法文字を刻印した火の死霊竜の骨を触媒として、人造人間の応用で騒動を起こした火の死霊竜を生成したのではないかと思う』
「――っ」
オルフェンとジュスタ男爵のやり取りを聞いたフレイヤは息を呑むと、両手で口元を覆った。
今の今まで素晴らしいものだと思っていた錬金術が恐ろしい生き物を生み出していたと知った衝撃は大きい。
そのままフレイヤが俯くと、シルヴェリオがすぐに気づいて声をかけた。
「フレイさん、大丈夫か? 顔色が悪いから、医務室で休んだ方がいい」
「いえ、ショックを受けただけですので大丈夫です」
フレイヤは慌てて顔と手を横に振る。
無理やり笑みを作ると、シルヴェリオの表情が曇る。
「……気分がすぐれない時は言ってくれ」
「ありがとうございます。ですが、本当に大丈夫なので気にしないでください」
シルヴェリオはやや躊躇いがちに視線を外すと、オルフェンに向ける。
「錬金術は魔法を使えないと聞いたが、魔法使いは錬金術を使えるのか? 今回の事件、魔法使いと錬金術師のどちらが関わっているのか目星をつけたい」
『使えるだろうけど、緻密に魔法を編める人じゃないと使えないだろうね。魔法使いが使う魔力は物を生成するには強過ぎるから、生成する前に物の性質を変えてしまうらしい。だから魔力の出力と属性魔力のバランスを程よくとれるような超人でないと使えないと思うよ』
「……よほど魔法に長けた人物であれば可能なのか」
「もしくは、魔法使いと魔術師が結託して今回の事件を引き起こしたかもしれません。その線も探ってみましょう」
レオナルドはそう口を挟むと、ネストレに視線を向ける。
「今回の建国祭には、イルム王国の王太子、アーディル殿下が来る予定でしたね。念のため彼も監視しておいた方がいいかと」
「ああ、アーディル殿は錬金術の研究に熱心だと噂を聞いたことがある。……温厚な印象はあるが、用心するに越したことはないな」
ネストレの話によると、アーディルは母親が錬金術師であるらしく、幼い頃から錬金術に触れる機会が多かったらしい。
年齢はフレイヤと同じでニ十歳。過去にはエイレーネ王国に一年ほど留学していた時期もあるらしい。
「ひとまずアーディル殿下と同じ年頃の貴族たちに、在学中の彼の様子を聞いてみよう。なにか手掛かりになるかもしれない。――それにしても、オルフェンの知見には助けられたな。おかげで捜査が前進したよ。魔導士団に入って研究者になってみてはどうだい?」
『嫌だね。僕は命じられて仕事するのは嫌いなんだ』
「もし気が向いたら、いつでも言ってくれ。それと、また捜査のことで相談したいから、その時はまた呼ばせてもらう」
『気が向いたら行くよ』
「ははっ、オルフェンが興味を持つ話題を用意しておかないといけないな」
ネストレは楽しそうに笑っているが、二人のやり取りを見ているフレイヤはハラハラとして気が気でない状態だ。
すっかり疲れ切った表情のフレイヤに、シルヴェリオが声をかける。
「打ち合わせはもう終わったから、ザッハトルテを食べに行こう」
「ザッハトルテ……!」
フレイヤの若草色の目がキラキラと輝く。
お目当てのケーキの名前を聞いて、元気を取り戻したようだ。
あまりにも早い回復に、シルヴェリオは思わず声を上げて笑ってしまうのだった。