唇を隠して,それでも君に恋したい。
「その日から,ユリユリには伊織くんしかいない。今もそう。ユリユリはいつどこにいても伊織くんのことを考えて,いつも,誰かに重ねては比べちゃう。振り向いてくれなくてもいい。ユリユリは伊織くんを,とても傷つけたのだと思うから」
百合川さんは,最後の一口を含んで,後悔するような顔で笑った。
もう怒っていない。
そう告げるのは簡単だけど,きっと彼女は納得しないだろうと思った。
「姫」
「っ?」
「って,呼ばれたくないのはなんで?」
僕もそろそろ食べ終わるなと思いながら,尋ねてみる。
百合川さんは動揺するように顔を赤らめて,僕からそらした。
「べ,別に今は……呼ばれたくないわけじゃ……ただ,物語のお姫様みたいにもてはやされて呼ばれるのが……好きじゃなくて」
「じゃあ,百合川さんが僕を伊織くんって呼ぶみたいに呼んでもいいの?」
百合川さんはぱっと立ち上がると,ふらふらした足取りで食器をカチャカチャ言わせながらシンクへ運ぶ。
そのあと何度もくるくる歩いて,そっと戻ってきた。
「いい,よ……っていうか,伊織くんになら呼んでほしい」
……姫,姫さん? 姫……ちゃん?……違うな。
ヒメ。
「考えておくね」
その場では呼ぶことができず,僕はそう返答した。
百合川さんはこくりと頷いて,僕らは以降することも話すこともなくなってしまう。
時間も時間だし,送っていくかと考えていると,百合川さんはぽつりと上目でこぼした。