唇を隠して,それでも君に恋したい。
「デート,しない? 駅前のクレープ屋さん,期間限定の新作があるんだって」
窓の外から香った甘い匂い。
ふと思い出したその存在に,僕は誘いかけた。
こんなことがお礼になるなんて驕るつもりはないけど,どうしても今,ヒメと行きたいと思ったのだ。
残り数カ月。
その全ての時間を,家族のような彼女に費やしたい。
そう思うのは,僕が彼女に抱く感謝の気持ちをおもえば当然のことだった。
「行く……!」
純粋なそのキラキラした瞳と色づいたほっぺたに,僕の頬と心までポカポカする。
僕に残った最後の善意は,ここにあるのだと感じながら,僕はヒメを連れていつもとは違うルートで下校した。
つやつやとしたマスカットの乗ったクレープ。
僕らは並んでそれを食べ,風が冷えるねと身を縮めて笑う。
「伊織,よかったの? 奢ってもらっちゃって」
「うん。この間テストの順位が上がってたお祝い。それから冬明けの受験頑張れも込めて。ささやかだけど」
「伊織が教えてくれるおかげ。でも……受験か~。模試も余裕の評定だけど,受かるってわかってても本番は緊張するな」
「ヒメが頑張ったからでしょ。僕はほとんど何もしてない。大丈夫,ヒメは本番もうまくやれるから。良かったら結果が出たら教えてほしいな」
「もちろん! ままより先に連絡しちゃう!」
満面の笑みを向けるヒメは,きっと誰より現実的に未来を見据えている。
だから
「薬剤師になりたいんだよね」
「うん。出来るだけいい大学に行って,出来るだけ大きな場所の職について,そこでままみたいにバリバリ働くの」
僕がヒメの人生に影を差すことはきっとないだろう。
「ヒメならなれるよ。ヒメがいま描くよりもっと幸せなちゃんとした大人に」
「やっぱり伊織もそう思う? ユリユリもね,自信しかないの!」
眩しい彼女は,僕なんかの存在一つでは止まらない。
だからこそ,こんなずるいともいえる甘え方をしてしまうんだ。