初恋の終焉〜悪女に仕立てられた残念令嬢は犬猿の仲の腹黒貴公子の執愛に堕ちる

エピローグ

 
「あの……、ハインツ様。皆さまを放っておいてよろしいのかしら?」

 滞りなく婚礼の儀を終えたエリゼベスは、なぜか外に繋がれていたハインツの愛馬に乗せられ、森の中を疾走していた。

「別に私達が居なくともアイツらなら勝手にやりますから大丈夫です」

 いいえ、そう言う問題ではないでしょ……

 どこの世界に主役のいない披露目のガーデンパーティーを容認する列席者がいるのだろうか。大騒ぎになっているであろう会場を想像し、エリザベスは小さくため息をこぼす。

(ミリアがカンカンに怒っているわね)

 列席者の中には、一足先に結婚した王太子殿下と王太子妃リリアもお忍びで参加しているのだ。主役がいない会場で奔走しているであろう父の焦り顔まで浮かんでくる。

「エリザベス、あちらの心配ばかりしていて良いのですか? 自分の心配をした方が身のためかと思いますが」

「へっ?」

「貴方と結婚した今、抑えられそうにありませんから。今日は抱きつぶしますので」

「えっ……、えぇぇ!!」

 ままま、まさか……、連れ出した本当の目的って……

「どうしたのですか? 鳩が豆鉄砲喰らったような顔をして。まさか、誓いの口づけだけで私が満足するとでも思ったのですか?」

 唐突に思い出した挙式での一幕に、頬が熱くなる。

 誓いのキス、永遠の愛を誓う神聖な儀式。ハインツがベールを挙げ、彼と見つめ合い、どちらからともなく交わした口づけ。普通は、軽くキスをして離れるのが常識だろう。しかし、ハインツはそうはしなかったのだ。

 腰をガッチリとホールドされ、逃げられないことを良いことに公衆の面前でディープなキスを仕掛けられたのだ。

 その後の居た堪れなさと言ったら……

 列席者に向き直り、呆れ顔の参加者の生暖かい視線に晒され、バージンロードを歩き退場しなければならなくなった時の心境は、一生忘れないだろう。

「あれは……、酷すぎます!」

「何がひどいのですか?」

「だって皆さまの前で、あんなキス……、普通しません」

 徐々に尻窄まりになる言葉に、頭上からクスクスと笑うハインツの声がする。

「可愛すぎるエリザベスが悪いのです。瞳を潤ませ、頬を朱に染めたエリザベスを見て私が我慢できるとでも思ったのですか?」

「えっ……、でも神聖な儀式ですのよ……」

「そうですね。神に牽制できる唯一のチャンスでもある訳か」

「はっ? 牽制できる?」

「そうです……、神であろうと、愛する妻に手を出せば、ただじゃおかないとね」

「ひっ……ひゃぁぁ……」

 耳元で響いた艶めいた声と共に首筋へと落とされた口づけに、身体の奥底で官能の火が灯る。腰を抱いた彼の手に力がこもり、さらに抱き込まれると同時に林を抜け走る馬の速度も増していく。

「そろそろ私も限界ですね。急ぎましょう」

「ハ、ハインツ様! どちらへ、む、向かって……」

 舌を噛みそうになりながらも、ずっと頭を占めていた疑問を口にする。披露目のパーティーを抜け出してまでハインツがエリザベスを連れて行く場所とはどこか。

「……貴方との思い出の場所ですよ」

 きっと、ハインツ様も同じ場所を思い描いている。あの泉を……

 そうであって欲しいと願う自分が確かにいる。

 木漏れ日差し込む森の景色が風の如く流れ、徐々に見知った景色へと変化していく。

「着きましたよ、エリザベス。貴方ともう一度、ここへ来たかった」

 目の前に広がるキラキラと輝く湖面は、瞳に浮かんだ涙で霞んで見えない。

 この泉で全てが始まった。

「この場所で、エリザベスと出会わなければ、誰かをこんなにも愛することはなかったでしょう。私の人生を変えたのは間違いなくエリザベス、貴方です」

 ハインツ様と一緒……

 あの日、あの時、ハインツと出会っていなければ、間違いなくエリザベスの人生は終わっていた。母が死に色を失った人生を色鮮やかに変えたのは、彼だった。そして、初恋の君をウィリアムと勘違いし、固執していたエリザベスの目を覚まさせ、導いてくれたのも彼だった。

 ハインツがいたからこそ、エリザベスの人生は色鮮やかに輝くことが出来たのだ。

 だからこそ不安で押しつぶされそうになる。

 彼にとってのエリザベスは、ただのお荷物でしかないのではと、心の奥底に巣くった不安が消えない。ウィリアムと同じように、ハインツもまたエリザベスの前から消えてしまうのではないかと。

「ハインツ様にとっての私は、人生を変えた女性だったかもしれません。しかし、それは幼い頃の刷り込み、いつかは消えてしまう幻なのではありませんか? そんな不安が、私の心から消えないのです」

「ふふふ、幼い頃の刷り込みですか……、そんな可愛いものでしたら、とうの昔にエリザベスへの想いなど消えてなくなっていたでしょうね。貴方への想いは、そんな生優しいものではない」

「でも、人の心は移ろいやすいもの。ハインツ様に頼ってばかりの私では、いつか飽きられ――」

「――いっそのこと、私にどっぷり依存して仕舞えばいい。そうなれば、一生私から離れられないでしょう」

 そう言って、うっそりと笑うハインツの顔を見て、エリザベスの背が震える。

 彼に囚われる人生……、それを嫌だと感じていない自分が確かにいる。ハインツに身も心も依存し、囚われる人生。そんな人生こそ、至上の喜びなのかもしれない。

「ただ、そう私が望んだとしても、エリザベスは囚われる事を良しとしないのでしょうね。最後の最後には、自分の意志で立ちあがろうと足掻く貴方だからこそ、私はエリザベスに惹かれる」

『自分の意志で立ち上がろうと足掻く私……』

 彼の言葉が、ストンと心に落ちる。

(いつだって、そうだった……)

 最後に決断を下し、一歩を踏み出す選択をして来たのは、エリザベス自身の意志だった。

「ハインツ様に囚われる人生、それも悪くない。でも、無理ね。それを未来の私は、望まないと思うわ。だって貴方に守られる人生より、ハインツ様の隣を一緒に歩いて行きたいもの」

 ハインツと共に歩む人生。これからも不安に駆られ、心が蝕まれる事もあるだろう。ただ、もう迷うことはない。彼の言葉が指針となる。

 もがき苦しみながらも、立ち上がる選択をしたエリザベスだからこそ惹かれたと言ったハインツの言葉を。

 

 
【完】
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