公爵令嬢ヘレーネの幸せな結婚
 輝く瞳で無邪気に尋ねられ、胸を突かれた様にヘレーネは何も言えなくなった。

 生まれる前から、公爵家に(とぐろ)を巻いて鎮座している呪い。

 忌まわしいが空気のようなもので、今まで呪いを解くという発想に至ったことすらない。

 へレーネはただ黙って首を横に振るしかなかった。

 途端に、女の子の瞳が曇り(まなじり)に雨露のような涙を貯めて俯いてしまった。

 心配になって覗き込むと、女の子は小さな歯が生えた口から言葉を紡ぎだした。

  静かな夜、聖なる夜

 歌声が耳朶を打ち、夢の世界から引き剥がされたへレーネは目を覚ました。

 ベッドの上で目を瞬くと、兄のルートヴィヒ・ヴィルヘルムが窓辺に立ち小さな声で歌っているのが見えた。

 夜空に瞬く星に聞かせているような優しい響きの歌声が、夜の闇に溶けていく。

  ものみな眠り、目覚むるは
  ひとつ聖なる父と母

 兄の後ろ姿が寂しそうで、ヘレーネは胸の奥がきゅっと締め付けられる。

 頼りになる三歳年上の兄は、時折寂しそうな顔をして遠くをみることがある。

 そんな時は決まってヘレーネも胸がチクッと痛み、泣きたくなった。

  巻き毛の愛らしき男の子

「おとこのこ!?」

 驚きの声を上げ、思わずベッドから起き上がる。

 ルートヴィヒは歌うのをやめると、静かにベッドへと近づいてきた。

「起きたのかい? ネネ」

「にぃしゃま、あかちゃんうまれたの? おとこのこ?」

 兄の顔を見上げてへレーネは矢継ぎ早に尋ねる。

 兄妹の母、ルドヴィカは臨月を迎えていた。


 もうすぐ弟か妹が産まれるのだ──。

 母親の大きなお腹を撫で話しかけていたヘレーネは、初めての新しい家族の誕生が楽しみで仕方なかった。

 ルートヴィヒはヘレーネの隣に腰掛けると、妹の頭を撫でながら優しく微笑んだ。

「赤ちゃんはまだ、生まれてないから安心して。生まれたら必ず起こしてあげるから──」

 頭を撫でるルートヴィヒの手がぴたりと止まり、周囲の様子を窺う。

 ヘレーネも兄の真似をして耳を澄ませると、嘶きとともに馬が駆け出す音が聞こえた。
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