公爵令嬢ヘレーネの幸せな結婚
 皇宮で厳しく育ったフランツ・ヨーゼフにとって、教養にあふれ抜け目ない宮廷夫人はお好みではない。宮廷でそつなくこなすような小賢しい女に対して、潔癖な青年は生理的嫌悪感を持っている。
 宮廷夫人の代表であるゾフィー大公妃が息子の息抜きにと斡旋する利口で弁えた魅惑的な女性は概して、彼の好みとはかけ離れている。
 だが、孝行息子の皇帝は、不満を漏らさずに相手をしている。

 フランツ・ヨーゼフが若干十八歳で帝冠を戴いたのは、ゾフィー大公妃の手腕あってのことだ。
 青年皇帝の私生活は、母という厳格な看守が四方八方に目を光らせている。
 母親に従順に従う青年が、いつか爆発しないかエムメリヒは気を揉んでいた。

「皇帝は『田舎娘がお好み』か……」

 皇宮から縁遠い庶民がなぜ的確に皇室の核心を突くことができるのかと、エムメリヒは可笑しくなった。
 “諸国民の春” でウィーンがきな臭くなった1848年、フランツ・ヨーゼフはラデッキー将軍が率いるイタリア戦線に送られた。危険なウィーンから少しでも遠ざけたいというゾフィー大公妃の親心である。

 まだ大公だった皇帝の尊き御身を、誰よりも近くで守ったのは他ならぬエムメリヒだ。
 側で侍るエムメリヒは、フランツ・ヨーゼフの女の好みをよく知っていた。

 サンタ・ルチアに向かうイタリアの旅路で、母の手から離れ自由を謳歌するフランツ・ヨーゼフが熱い視線を注いでいたのは、うら若き田舎娘たちだ。
 無垢な乙女たちに不用意に接触しないように、エムメリヒたち将校は、青年皇帝を厳しく監視をしていた。

「皇帝は田舎娘が好きなのか?」

 アントンは先ほどの蒼白な顔とは打って変わった真剣な目でエムメリヒの返答を待っていた。
 エムメリヒは力なく笑う。

「シュタイアーマルクの例もある。温室の薔薇よりも野に咲く花がお好きなのは、血の濃いあの家の男の本能やも知れん」

 オーストリア初代皇帝フランツ一世の弟ヨハン大公。彼は、湖畔で偶然出会った美しい田舎娘と恋に落ちた。
 シュタイアーマルクの郵便局長の娘アンナ・プロッフルとの婚姻は、皇族や貴族の猛反発にあった。

 ヨハン大公はハプスブルク家の遺産相続権と皇位継承権を放棄して、恋を貫いた。
 娘の行く末を心配する郵便局長のために、本家のトゥルン・ウント・タクシス家は影に日向にと助力を惜しまなかった。 

 だが──。
 フランツ・ヨーゼフは、庶民との婚姻を選んだヨハン大公のような選択はすまい。
 神が選び与えたもうた皇帝の地位は、フランツ・ヨーゼフのすべてだ。

「責任感の強い方だから、好みじゃなくてもバイエルン娘と上手くやるさ。母上と上手く付き合ってるようにな」
「フランツ・ヨーゼフは田舎娘がお好き……」

 ぶつぶつ呟くアントンを横目に、エムメリヒはブルートヴルスト(血の腸詰)に噛り付いた。
 処刑続きでブルートユング(血染めの青年)と揶揄される哀れなフランツィの悪評を、めでたい慶事が吹き飛ばしてくれることを心から願った。
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