つれない男女のウラの顔
「で、俺の名前は?」
再び問われ、逃げ道を失った私は、半ば諦めたように静かに口を開いた。
「……あ、さひ…さん」
「ん?聞こえない」
もごもごと小さな声で呼べば、成瀬さんが「もう1回」と身を乗り出して耳を近付けてきた。絶対に聞こえたはずなのに、やっぱり今日の成瀬さんは意地悪だ。
また距離が近くなったことにドキッとして、彼の匂いにクラクラしてしまう。
「旭、さん…」
今度はさっきより大きな声で呼んでみた。
ただ名前を呼んだだけなのに、身体が熱くてたまらない。
「今度こそ聞こえました…か…?」
少し強気で問いかけながら成瀬さんの方に視線を向けると、逃げるように目を逸らした成瀬さんの頬は、少し赤くなっていた。
自分から名前呼びの提案をしてきたくせに、もしかして照れているんじゃ…。
「…成瀬さん?」
「今日は暑いな。車内の温度が全然下がらない」
あ、もしかして照れていたわけじゃなくて、暑かっただけなのかな。となると、私のこの赤くなった顔も、車内温度のせいだったり。
……さすがに無理がある?
「とりあえず出発しようか」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「途中で寄りたいところがあったら遠慮なく言うんだぞ」
「分かりました。成瀬さんもいつでも休憩してくださいね」
「ほら、また呼び方が戻ってる」
「あ…」
指摘されて気付いた。完全に無意識だ。
もう呼び方なんて何でもいいじゃないかと思ったけど、成瀬さんが横目で私を見ていることに気付いた。その目は「言い直して」と訴えているように見える。
「……旭さん、運転よろしくお願いします」
満足げに口角を上げた成瀬さんを見て、胸がきゅっと締め付けられた。職場では絶対に見られないような彼の姿を、胸に焼き付けておこうと思った。
「行こうか、京香」