新そよ風に乗って ⑧ 〜慕情〜
「声が大きいって!」
慌てて、 両手で口を押さえた。
「ご、 ごめんなさい。 びっくりしちゃって……」
彼女に殴られたなんて、 中原さん……。
「あの、 喧嘩でもしちゃったんですか?」
「ああ。 ずっと、 揉めていたから。 それで……別れた」
「嘘……」
思わず、 高橋さんの方を見た。 すると、 流石に高橋さんもそこまでは知らなかったみたいで、 顔をあげて中原さんを見ていた。
「中原」
「はい!」
高橋さんが、 中原さんを呼んだ。
「今晩、 飲みに行くぞ」
「えっ? あっ……はい!」
高橋さん……。
中原さんと一緒に高橋さんを見ると、 すでにまた書類に目を通しながら、 パソコンのキーボードを叩いていた。
中原さん。 別れちゃったんだ。 毎週デートしていて、 あんなに仲良かったのに……。何となく、 他人事とは思えなくて身につまされた。
「はい。 会計監査中原です。 はい……少々お待ち下さい」
電卓を叩きながら、 自然と中原さんの電話で話している声が耳に入ってきた。 そして、中原さんが高橋さんの席まで歩いて行く気配が、 空気の流れでわかる。
何でだろう? いつもなら、 席に座ったまま電話の取り次ぎをするのに……。
中原さんの行動を視線で追っていると、 高橋さんの耳元で何かを告げたと同時に、 高橋さんが受話器を取った。
「お電話代わりました。 高橋です……はい。 直ぐ伺います」
電話を切って、 すぐさま高橋さんは立ち上がり、 後ろのロッカーからジャケットを出して着ると私を見た。
エッ……。
その私を見る高橋さんの視線が、 すべてを物語っていた。
とうとう、 来るべき時が来たんだ。 電卓のキーボードの上に置かれたままの指が、 小刻みに震えている。
そして、 ゆっくりと高橋さんが口を開いた。
「社長室に、 行ってくる」
ああ……やっぱりそうなんだ。
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