腹黒御曹司の一途な求婚
「悪いね、美濃さん。昼時に呼び出して」
「い、いえ……とんでもございません……」
 
 総支配人室に置かれた革張りのふかふかソファに恐々と腰掛けた私は、身を縮こめながら、目の前に座る総支配人へ無駄にぺこぺこと頭を下げた。

 秘書の女性はソファの前のガラステーブルに二人分のコーヒーを置くと、そのまま出て行ってしまった。
 なので、この荘厳な空間には私と総支配人の二人きり。気まずいことこの上ない。
 
 総支配人が鷹揚と微笑んでいるのが、せめてもの救いだ。懲戒処分とかそういう叱責で呼び出されたのではなさそうだと、なんとなく分かる。
 ならどうして呼び出されたのだろう……と戸惑いを隠せずにいると、総支配人が和やかに目を細めた。

「ああ、すまないね。仕事の話というわけじゃないんだ。この間、君のお父さんにお会いしてね」
「父……ですか?」

 私の背筋に、先程までとは違った緊張感が走る。まさかここで父の話が出てくるとは思わなかった。

 パーティーの日、父からは「融資の話がついたら連絡をしてほしい」と連絡先は渡されていたけれど、連絡はしなかった。連絡先が書かれた紙も既に処分している。

 私からの連絡がなければ父も察して諦めると思っていた。
 だからこんな形で接触を図ってくるとは予想外で。認識が甘かったのかもしれない。
 
 ゴクリを生唾を呑み込み、私は神経を張り詰めながら総支配人を見つめる。

「君は菊乃屋のご令嬢だったんだね。知らずにいて申し訳ない」
「いえ……私は一従業員ですので……それに父からは家業について口外しないよう言われていましたから」
「そうか……。私も君のお父さんとはこれまであまり面識がなかったものだからね。知人の紹介でお会いしたんだが、お父さんから娘さんがうちに勤めていると聞いて驚いたよ。お父さんとは色々話をしてね……君が訳あって家を出ていることも伺った」

 まあ、その通りではあるのだけれど……その訳がいかにも私の側にありそうな物言いに、なんとも言い難い気持ちになる。
 肯定も否定もせず曖昧に微笑むと、総支配人はゆったりと首肯した。

「過去に君を傷つけてしまって申し訳ないことをしたと、悔いておられていた」
「そう、ですか……」

 そう思っているなら、どうして直接会った時に言ってくれなかったのだろう。
 仮に総支配人が言った父の言葉が本心だったのだとしても、私はもうその言葉を信じることはできなかった。
 
 総支配人からは見えない位置で拳をギュッと握って、込み上げるやるせなさを逃そうとする。
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