腹黒御曹司の一途な求婚

踏み出せない一歩

 ピンポーン、とチャイムの音がワンルームの部屋全体に響き渡った。
 ちょうどコートを羽織っているところだった私は慌てて鞄を引っ掴み、玄関へと走る。
 お気に入りのパンプスを履いて玄関の扉を開けると、黒のチェスターコートを着込んだ久高くんが立っていた。

「迎えにきてくれてありがとう。ごめんね、お手間をかけちゃって」
「車で来たから手間でもなんでもないよ。じゃあ行こうか」

 私が眉尻を下げると、久高くんはなんでもない風情で笑ってから、こちらへ手を差し出してくる。
 当然のように目の前に差し出された大きな手のひらと、彼の秀麗な顔を見比べる。多分、意識してるのは私だけ。
 少しばかり逡巡して、それから私は意を決して彼の手を取った。
 
 するとすぐに、私の手は角張った温もりに包まれた。
 もう何度も彼と手を繋いだけれど、未だに気恥ずかしくて慣れない。冬の冷気がいつもより冷たく感じる。
 視線は俯けたまま、私は彼に手を引かれて歩き出した。

「ありがとう。弁護士さんを紹介してくれて」

 自宅アパートから久高くんが車を停めてあるというコインパーキングまでの道すがら、私は少し改まって彼にペコリと頭を下げた。

 というのも、久高くんは私が父と交わした誓約書の存在を気にかけてくれて、知り合いの弁護士を紹介してくれたのだ。
 ついでにトラブルを避けるためにも誓約書の無効申立ては行った方がいいともアドバイスをしてくれた。

 正直なところ、誓約書を無効にしたいとは思っていなかった。今更、事を荒立てたくはなかったから。
 けど、いつまた知り合いに会うとも限らず、不安に思っていたことは確かだったので、専門家に相談できるのはありがたかった。
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