花とリフレイン —春愁切愛婚礼譚—

第弐拾弐話 体温

***

その日の十四時。

引っ越しの荷物がマンションに運び込まれ、業者さんが帰ったところで「ふう」とため息をついてソファに腰を下ろす。

ノースエリアにある春海家のマンションは一人で住むには広すぎるような部屋だった。
3LDKで五階建ての五階の角部屋。もちろんオートロックで駅からだって近い。
家具や家電も全て揃っている。彼はハウスキーパーも依頼してあると言っていた。
私に与えられた部屋はそこだけど、このマンション自体が春海家の所有らしい。
いずれ出ていくとはいえ、私にはもったいない贅沢な部屋。

それにこの部屋にいると広すぎて、嫌でも一人を実感してしまう。
早めにアパートを探してもう一度引っ越した方が良さそうだ。

ふと、自分の手を見てハッとする。
結婚指輪をはめたままだ。

私は「ゴクッ」と唾を飲んで、スマホを取り出す。
【結婚指輪をお返しするのを忘れてしまいました。返しに行きます】
重たい指で送信ボタンを押す。

しばらくして〝既読〟のマークがつく。

【処分してくれて構わない】
体温を感じない、無機質な返信が届いた。
もう私に会う気が無いんだ。
心臓がギュッと軋む。


「あ、私」
いたたまれない気持ちになって電話をかけた。
『木花、どうした?』
「あのね」
言葉に詰まる。
「あのね……」
うまく話せない。
『直接会おう、そっち行くよ』
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