レンタル姫 ~国のために毎夜の夜伽を命じられた踊り子姫は敵国の皇帝に溺愛される~
 魔導師同士のいざこざがあったとはいえ、一般市民をおびやかす魔法などそれまで一度として使われた例などなかったにもかかわらず――。

 本の世界と平行してあれこれ思い巡らせていると、不意に扉を叩く音が聞こえてきた。

 素早く本にしおりを挟みこみ、足早に扉に歩みより応答する。静かに開かれた扉の向こうには、父王が幾人かの従者を連れて立っていた。思いもよらない訪問者に心臓が締めつけられる。
 ノツィーリアが固唾を呑んで声掛けを待っていると、部屋に踏みこんできた父王は顎を上げ、さげすみの視線を突き刺してきた。

「ノツィーリアよ。貴様は読書が趣味だそうだな」
「……? はい」
「では、これを」

 数人の従者が、それぞれ手の上に重ねていた分厚い本を円卓の上に次々と積みあげていく。どれも王城の書庫では見たことのない本だった。

(お父様が私に贈り物を? そんなまさか)

 信じがたい光景に鼓動が速くなる。急に優しくなったのは、役目を与えられたからだろうか――。

「これらの書を熟読し、一字一句たがえず暗記せよ」
「暗記、ですか……?」

 ノツィーリアの復唱には反応を見せず、父王が背を向けて部屋を出ていく。従者たちもノツィーリアに向かってばらばらに頭を下げるとぞろぞろと去っていった。

 父王からなにかを贈られたことは今までに経験がない。これからつらい務めに臨むにあたり、この出来事はほんのわずかであっても救いになりうる気がした。

 うずたかく積み上げられた本の一番上のものを手に取り、円卓の椅子に腰を下ろして表紙に目を落とす。
 そこには想像だにしなかった文字が書かれていた。


【男を悦ばせる百の方法】


「……!」

 一瞬でも贈り物だと思ってしまったがゆえにわずかに浮上した心が地の底まで突き落とされる。
 本の中央付近のページをおそるおそる開くと、男性の象徴の挿絵が生々しい筆致で描かれていた。
 その周りを取り囲む、どの部位をどのように触れば男性を悦ばせられるかの解説。

「これを私がするの……!? 」

 手指で、口で、舌で、具体的にどう触れば男性に悦びを与えられるか。父はこれらを『一字一句たがえず暗記せよ』と言っていた。挿絵と細かい文字が一瞬にしてゆがんでいく。

「ううっ……!」

 おぞましい現実を叩きつけられて、涙と吐き気が込みあげてくる。
 口を押さえればあふれだした涙が頬を伝い、手の甲を濡らしていった。

 力の入らない手でページをめくっていき、一冊一冊に目を通していく。涙で文字が読めなくなるたびに指先で涙を払い、ハンカチで手を拭いては目を逸らしたくなる文面に視線を向けつづける。
 男性を言葉巧みに籠絡する方法、男性の求める癒し文句、肉体的に満足させる手法、等々。
 本はいつでも心に寄り添ってくれたというのに、文字を追えなくなるのはこれが初めてだった。


 見たくもない文字から目が逃げだせば、ふと母との思い出がよみがえる。


『私のかわいいノツィーリア。人生なにが起こるか分からないんだから最期まであきらめちゃダメよ』――。


 膝の上に乗せられて優しく頭を撫でてくれた感触は、今やおぼろげにしか思い出せなかった。

(お母様。本当に、なにか起こることなどありうるのでしょうか……?)
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