現れたのは聖竜様と予想外の溺愛でした
その日から、莉亜はひとりではなくなった。
ベッドと天井、床は宮殿並になったものの、逆に言えばそこ以外は何も変わっていなかった。
錆びた鉄格子も、曇った窓も、掃除用具も莉亜の記憶そのままである。
もちろん、例の壁画にも何も変化がなかった。
「鱗ばかりでなく、そのもう少し右下を浄めてみろ。翼があるはずだ」
「下も忘れるな。脚が見えてくる」
「そのあたりは柄が混み入っている。疲れた時に浄める場所ではないな」
このように、ジルはよくアドバイスをくれた。
その通りに莉亜が拭ったり削ったりすれば、その通りの絵が浮かび上がる。
あまり莉亜が集中しすぎると、顔色が悪くなる前に座らせて、適宜休憩を取るタイミングまで調整していた。
「ほら、お飲み。気分が良くなる」
どこからか取り出したグラスに満たされているのは、水にも似た透明な液体だ。
ほのかに柑橘系の香りがして、莉亜はそれを好んで飲んだ。
「……あなたは、食べたり飲んだりしないの?」
壁画の浮かび上がる部分が増えてきた頃、書き物机と椅子が見違えるように美しくなった。
均一な木目と草花の彫られた意匠は優雅で、本来の用途とは違うことはわかっていつつも莉亜はそこで食事を摂っている。
食器も含め、これらもジルが用意してくれたものである。
「私には要らないものだから」
簡単にそう応えたジルは莉亜の食事を見守っている。
見られながらものを食べるのは落ち着かないと何度言っても、ジルは「そう」とだけ返して視線を外そうとはしなかった。
「リアは綺麗に食べる」
「え」
パンをちぎっていた手が止まる。欠片がスープ皿に落ちた。
みっともない食べ方はしていないつもりだったが、改めてそう言われると、自分の一挙手一投足が本当に彼のお眼鏡に適ったものだったか──思い返して固まってしまった。
「食べる姿だけじゃない。普段もしんと静かで、自分を律している。心地よい」
「あ、あまりお喋りは得意ではなくて……」
良い方向に評されているであろう言葉なのに、裏を読み解こうとして勝手に胃の腑が重くなる。
莉亜の顔色が失せているのに気づいたジルは「何か気に障ることを言っただろうか」と落ち着かない風に座り直した。
「い、いいえ。ジルは……悪くないです。私が勝手に、その、思い出して」
「何か──過去に?」
直球だった。
莉亜はからからに乾いた口内を水で潤して、ジルをちらりと見遣る。
ジルの視線は外れない。
だが、今まで向けられてきた無遠慮な蔑みの視線とは違う。
「黙ってばかりなの、薄気味悪いって思いますか」
「それは浄めの作業のことか」
「それもありますけど……その、幅広く」
「それだけ己を律する核があるということだ。美しい花も土に埋もれた種から始まる。目に見えぬ、音に聞こえぬからといって蔑まれる謂れは無い」
先程とは違う意味で、莉亜はジルを見遣る。
その瞳は開かれていた。
初めて会った頃よりはっきりとしてきた輪郭で、ジルは言葉を重ねる。
「リアは堅実だ。頼りにしている。薄気味悪いなどと思うものか」
スープ皿に、ぽたりと透明な雫が沈んだ。
ジルは視線を外す。莉亜が良いと言うまで窓の外を眺めていた。
ベッドと天井、床は宮殿並になったものの、逆に言えばそこ以外は何も変わっていなかった。
錆びた鉄格子も、曇った窓も、掃除用具も莉亜の記憶そのままである。
もちろん、例の壁画にも何も変化がなかった。
「鱗ばかりでなく、そのもう少し右下を浄めてみろ。翼があるはずだ」
「下も忘れるな。脚が見えてくる」
「そのあたりは柄が混み入っている。疲れた時に浄める場所ではないな」
このように、ジルはよくアドバイスをくれた。
その通りに莉亜が拭ったり削ったりすれば、その通りの絵が浮かび上がる。
あまり莉亜が集中しすぎると、顔色が悪くなる前に座らせて、適宜休憩を取るタイミングまで調整していた。
「ほら、お飲み。気分が良くなる」
どこからか取り出したグラスに満たされているのは、水にも似た透明な液体だ。
ほのかに柑橘系の香りがして、莉亜はそれを好んで飲んだ。
「……あなたは、食べたり飲んだりしないの?」
壁画の浮かび上がる部分が増えてきた頃、書き物机と椅子が見違えるように美しくなった。
均一な木目と草花の彫られた意匠は優雅で、本来の用途とは違うことはわかっていつつも莉亜はそこで食事を摂っている。
食器も含め、これらもジルが用意してくれたものである。
「私には要らないものだから」
簡単にそう応えたジルは莉亜の食事を見守っている。
見られながらものを食べるのは落ち着かないと何度言っても、ジルは「そう」とだけ返して視線を外そうとはしなかった。
「リアは綺麗に食べる」
「え」
パンをちぎっていた手が止まる。欠片がスープ皿に落ちた。
みっともない食べ方はしていないつもりだったが、改めてそう言われると、自分の一挙手一投足が本当に彼のお眼鏡に適ったものだったか──思い返して固まってしまった。
「食べる姿だけじゃない。普段もしんと静かで、自分を律している。心地よい」
「あ、あまりお喋りは得意ではなくて……」
良い方向に評されているであろう言葉なのに、裏を読み解こうとして勝手に胃の腑が重くなる。
莉亜の顔色が失せているのに気づいたジルは「何か気に障ることを言っただろうか」と落ち着かない風に座り直した。
「い、いいえ。ジルは……悪くないです。私が勝手に、その、思い出して」
「何か──過去に?」
直球だった。
莉亜はからからに乾いた口内を水で潤して、ジルをちらりと見遣る。
ジルの視線は外れない。
だが、今まで向けられてきた無遠慮な蔑みの視線とは違う。
「黙ってばかりなの、薄気味悪いって思いますか」
「それは浄めの作業のことか」
「それもありますけど……その、幅広く」
「それだけ己を律する核があるということだ。美しい花も土に埋もれた種から始まる。目に見えぬ、音に聞こえぬからといって蔑まれる謂れは無い」
先程とは違う意味で、莉亜はジルを見遣る。
その瞳は開かれていた。
初めて会った頃よりはっきりとしてきた輪郭で、ジルは言葉を重ねる。
「リアは堅実だ。頼りにしている。薄気味悪いなどと思うものか」
スープ皿に、ぽたりと透明な雫が沈んだ。
ジルは視線を外す。莉亜が良いと言うまで窓の外を眺めていた。