現れたのは聖竜様と予想外の溺愛でした
その日から、二人三脚で作業は進められた。
「重くないです?」
「全然。羽のようだ」
「……本当に?」
そこで莉亜は、昨日ジルが用意してくれたプチケーキを少しばかり食べすぎたことを思い出して、もう一度問いただす。
するとジルは顎をさすりながら「ううん」と芝居がかった声色で唸った。
「度を越さなければいい話だよ」
「…………私、やっぱり食べすぎましたよね?」
「昨日の今日ですぐに肥えるわけないだろう。毎日の積み重ねだよ」
「肥えるって言いましたね? 毎日の積み重ねで重みを増してるってことですか!?」
「私を体重計扱いしないでくれるかい」
いやあっと恥じらい赤くなる頬を覆いながら悲鳴をあげる莉亜と、からからと笑い飛ばすジル。
数日前までのしんとした静寂はどこへやら、賑やかな響きが部屋を満たしていた。
会話を楽しみながらの作業は莉亜にとって新鮮で、真面目に壁画と向き合う時には感じていなかった鼓動の弾む音が指先へ伝わるようだった。
しかしどこまでも真面目な莉亜のこと。お喋りに気を取られて本来の目的がおろそかになる訳ではない。
寧ろ、ジルという踏み台──ならぬ助手を得て、効率が上がっている。
安定した姿勢をとれるようにと配慮されたジルの腕にも慣れた莉亜は、真摯に壁画への浄めに打ち込んでいく。
当初莉亜が懸念していた、壁画の上部を清めたことにより下部が再び汚れてしまう二度手間も、ジルがうまく調節しているのかさほどひどくはなっていない。
どんどん汚れが払われ、かつての姿を取り戻していく壁画をふたりは目の当たりにしていた。
顔の一部分を残し、ほぼ露わになった壁画に莉亜はほうと息をつく。
「この聖竜様、美しいです」
「……そう?」
やはりそこは手放しで同意しないジルだったが、心なしか声音がぬくもりを帯びてきているようだ、と莉亜は手応えを感じている。
「ええ。青白く光を放つ鱗も、堂々と広げる翼もまさに竜の中の王者……竜王陛下といったところでしょうか」
「はは、言うね。陶酔しているようだよ」
「私の元いた所では竜はお伽噺にしかいない存在でしたけれど……だからこそ、憧れでした。美しいし、凛々しいですものね」
元いた所──もう二度と帰れないかもしれない、生まれ故郷。語りながら蘇る思い出に、莉亜はこみあげるものを隠して耐えながら、目の前の壁画に向き合って奥歯を噛み締めた。
「……リアも、美しいよ」
「え?」
飾り気のないひと言。
だが優しさを纏った深みのある声音が、莉亜の心に波紋を描いて静かに沈んでいく。
「リアは美しい。そして凛々しい。いきなりこんなところに連れてこられて、蔑まれて、呪いに縛られても──」
「呪い……?」
何のことだ、と莉亜は聞き返すが、ジルは答えずに言葉を続ける。
「逃げ出しもせずに、己の役目と向き合っている」
ジルからの賛辞であることは莉亜にも理解できた。しかし、素直に受け取れない自分の心も理解している。
どうしても、今までの人生で受けてきた言葉の棘が抜けきれずに、莉亜の奥底でジクジクと膿んでいる。
面と向かった罵倒、はたまた陰湿な噂、一番タチが悪いのは、一見称賛の皮を被った嫌味だ。
言葉通りに受け取ることを許さない歪んだ口元、どろりと濁る声色。
それらは莉亜の呼吸を苦しくさせる。
深く息を吸えずに、それでも今までやり過ごしてきたように平気な仮面をかぶって、自分に自分は大丈夫であると思い込ませるように、莉亜は笑ってかぶりをふった。
「買いかぶりすぎですよ。私は──この世界で居場所もなくて、ただ、与えられたものをこなすことしかできなくて、それでも認められる水準になんて到底及ばなくて……ただ、そう、この竜に、逃げてるだけです。竜が私に居場所をくれた。だからある意味ではこうなって良かった──なんて、お人好しにも程がありますかね」
変に饒舌になった自覚はあった。それを指摘されるのが怖かった。
仮面が剥がれてしまいそうだったからだ。
しかし──ジルは、見透かしているかどうかも悟らせず、ただ、単純に、莉亜の言葉に自分の言葉を重ねた。
「もしそうなら、私はそなたの窮状につけ込んだ悪者だ。リアは逃げてはいない。己で道を見つけて踏み出したのだ。それが我が道と交差した。そなたの勇気に、他でもない私が敬意を払わずにして、誰が払うと言うのかな?」
透かしても、探っても、裏のない言葉。
それは莉亜だけに捧げられた勲章だ。
「ジル……」
つんと鼻の奥が痛んだ。
唇を噛み締めたのは、わななく唇を抑え込むためであって、何かに耐えるためでは無い。
壁画を共に眺めていたジルの瞳は莉亜に向けられている。
髪に隠されていた方の瞳が金の光を放ったように見えた。
彼はオッドアイだったのか。
はたまた光の加減なのか、眦に浮かぶ涙のせいかと目をこすろうとした時──
「偽物聖女──貴様、何故まだ生きている?」
濁声と共に鉄格子ががしゃんと軋んだ。
ふたり揃って向き直る。
莉亜の顔から色が抜けた。
ジルのかんばせが凍てつく。
莉亜をここに閉じ込めた司祭だった。
「重くないです?」
「全然。羽のようだ」
「……本当に?」
そこで莉亜は、昨日ジルが用意してくれたプチケーキを少しばかり食べすぎたことを思い出して、もう一度問いただす。
するとジルは顎をさすりながら「ううん」と芝居がかった声色で唸った。
「度を越さなければいい話だよ」
「…………私、やっぱり食べすぎましたよね?」
「昨日の今日ですぐに肥えるわけないだろう。毎日の積み重ねだよ」
「肥えるって言いましたね? 毎日の積み重ねで重みを増してるってことですか!?」
「私を体重計扱いしないでくれるかい」
いやあっと恥じらい赤くなる頬を覆いながら悲鳴をあげる莉亜と、からからと笑い飛ばすジル。
数日前までのしんとした静寂はどこへやら、賑やかな響きが部屋を満たしていた。
会話を楽しみながらの作業は莉亜にとって新鮮で、真面目に壁画と向き合う時には感じていなかった鼓動の弾む音が指先へ伝わるようだった。
しかしどこまでも真面目な莉亜のこと。お喋りに気を取られて本来の目的がおろそかになる訳ではない。
寧ろ、ジルという踏み台──ならぬ助手を得て、効率が上がっている。
安定した姿勢をとれるようにと配慮されたジルの腕にも慣れた莉亜は、真摯に壁画への浄めに打ち込んでいく。
当初莉亜が懸念していた、壁画の上部を清めたことにより下部が再び汚れてしまう二度手間も、ジルがうまく調節しているのかさほどひどくはなっていない。
どんどん汚れが払われ、かつての姿を取り戻していく壁画をふたりは目の当たりにしていた。
顔の一部分を残し、ほぼ露わになった壁画に莉亜はほうと息をつく。
「この聖竜様、美しいです」
「……そう?」
やはりそこは手放しで同意しないジルだったが、心なしか声音がぬくもりを帯びてきているようだ、と莉亜は手応えを感じている。
「ええ。青白く光を放つ鱗も、堂々と広げる翼もまさに竜の中の王者……竜王陛下といったところでしょうか」
「はは、言うね。陶酔しているようだよ」
「私の元いた所では竜はお伽噺にしかいない存在でしたけれど……だからこそ、憧れでした。美しいし、凛々しいですものね」
元いた所──もう二度と帰れないかもしれない、生まれ故郷。語りながら蘇る思い出に、莉亜はこみあげるものを隠して耐えながら、目の前の壁画に向き合って奥歯を噛み締めた。
「……リアも、美しいよ」
「え?」
飾り気のないひと言。
だが優しさを纏った深みのある声音が、莉亜の心に波紋を描いて静かに沈んでいく。
「リアは美しい。そして凛々しい。いきなりこんなところに連れてこられて、蔑まれて、呪いに縛られても──」
「呪い……?」
何のことだ、と莉亜は聞き返すが、ジルは答えずに言葉を続ける。
「逃げ出しもせずに、己の役目と向き合っている」
ジルからの賛辞であることは莉亜にも理解できた。しかし、素直に受け取れない自分の心も理解している。
どうしても、今までの人生で受けてきた言葉の棘が抜けきれずに、莉亜の奥底でジクジクと膿んでいる。
面と向かった罵倒、はたまた陰湿な噂、一番タチが悪いのは、一見称賛の皮を被った嫌味だ。
言葉通りに受け取ることを許さない歪んだ口元、どろりと濁る声色。
それらは莉亜の呼吸を苦しくさせる。
深く息を吸えずに、それでも今までやり過ごしてきたように平気な仮面をかぶって、自分に自分は大丈夫であると思い込ませるように、莉亜は笑ってかぶりをふった。
「買いかぶりすぎですよ。私は──この世界で居場所もなくて、ただ、与えられたものをこなすことしかできなくて、それでも認められる水準になんて到底及ばなくて……ただ、そう、この竜に、逃げてるだけです。竜が私に居場所をくれた。だからある意味ではこうなって良かった──なんて、お人好しにも程がありますかね」
変に饒舌になった自覚はあった。それを指摘されるのが怖かった。
仮面が剥がれてしまいそうだったからだ。
しかし──ジルは、見透かしているかどうかも悟らせず、ただ、単純に、莉亜の言葉に自分の言葉を重ねた。
「もしそうなら、私はそなたの窮状につけ込んだ悪者だ。リアは逃げてはいない。己で道を見つけて踏み出したのだ。それが我が道と交差した。そなたの勇気に、他でもない私が敬意を払わずにして、誰が払うと言うのかな?」
透かしても、探っても、裏のない言葉。
それは莉亜だけに捧げられた勲章だ。
「ジル……」
つんと鼻の奥が痛んだ。
唇を噛み締めたのは、わななく唇を抑え込むためであって、何かに耐えるためでは無い。
壁画を共に眺めていたジルの瞳は莉亜に向けられている。
髪に隠されていた方の瞳が金の光を放ったように見えた。
彼はオッドアイだったのか。
はたまた光の加減なのか、眦に浮かぶ涙のせいかと目をこすろうとした時──
「偽物聖女──貴様、何故まだ生きている?」
濁声と共に鉄格子ががしゃんと軋んだ。
ふたり揃って向き直る。
莉亜の顔から色が抜けた。
ジルのかんばせが凍てつく。
莉亜をここに閉じ込めた司祭だった。