現れたのは聖竜様と予想外の溺愛でした
「まったく……竜を崇める人間のことは知っていたが、竜を陥れる人間がいるとは、なっ!」

ジルは鬱陶しそうに首を勢いよく振る。
まとわりついていたガラスや煉瓦が王宮の床に突き刺さる。豪雨のように降り注ぐそれは、見る間に煌びやかな王宮の様子を一変させた。

「な、なな、なんだと、何代も昔に封じたかの竜が、なぜ!」

莉亜とジルの前には玉座で唸る国王、すくみあがって失神する衛兵達、みっともなく泣き出す大臣が顔を揃えていた。

あの後、ジルは竜の姿に戻るや否や、ここぞとばかりに塔をその尾と咆哮で破壊し、莉亜を抱えて王宮へと向かったのだ。
無論、瓦礫に埋もれた司祭や衛兵は放置したままである。
封じ込めていたはずの竜が王宮に迫っているという目撃情報が王の元へ届くよりも、ジル達の到着のほうが早かった。

「まがいものの聖女がなぜ生きている! 塔に満ちる竜の呪いでくたばったはずだろう!」

王とも思えぬ口調で口汚く莉亜を罵る王の真横にシャンデリアが落ちた。
無論、ジルの計算ずくである。

「──そう、リアは生きている」

ジルは竜から人の姿に戻る。さらさらと青鈍色の髪がなびいて彼の瞳を隠す。
淡々と頷いたジルは、傲然と顔を上げた。

「天よりの祝福にて竜を救う聖なる乙女──伝説の通りに私を“浄め”てくれたリアこそが、聖女であり私の番だ」

迷いなく言い放ったジルの腕の中で莉亜は目を見張る。

「ば、馬鹿な、そいつにはなんの力もなかったはずだ。奇跡ひとつなせぬ聖女に天よりの祝福だ? 笑わせるな」
「それはこちらの台詞だ。何代にも渡って自分のことしか考えられない矮小な脳味噌しか持ち合わせていないのか──いいか。聖女は竜と番う存在。竜のために力を授かり、世界のために奇跡を成す。お前のために授かる力など持ち合わせちゃいないさ」
「な」

真正面からの否定に王は口をあんぐりと開けて固まる。唇が悪戯にぱくぱくと開いたり閉じたりするだけで、何の言葉も出てこない。

「これ以上私の聖女を冒涜されるのも腹ただしいので言っておくが──そこの、転がっている小娘」

顎で指したのはヴァニティア──無限に宝石を生み出す能力で莉亜を蹴落としたかの聖女だ。
莉亜を見下していた高慢な笑顔は見る影もなく、ずり落ちた天幕を引っ張り、身を隠しながらガタガタ震えている。

「浅ましい。大方、小手先の手品で王族に取り入るならず者だろう」

豊満な胸元を強調するようなドレスだったが、あちこちからこぼれた、色の着いたガラス玉に囲まれた彼女は莉亜と大差変わらぬ平凡な体つきだ。詰め物で誤魔化していたであろうことは莉亜にも想像がついた。

「なに! 貴様まで偽物だったと申すか!」

己が目が節穴であったことを棚に上げて激高する王に、元聖女ヴァニティアは身を隠す天幕をかなぐり捨てて開き直る。

「そうよ、聖女になれば泥水すすって生きなくていいもの! こんなチンケな手品に引っかかってくれる馬鹿な王様でラッキーだと思ったのに!」
「貴様!」

堰を切ったように噴出した冒涜に、多少は心得のある衛兵がすぐさま取り押さえにかかる。聞くに耐えぬ金切り声がその場に反響する。
つい数刻前まで可愛がっていたであろう女を鬱陶しげに横目で睨んだ王は、足元に飛ばされてきたヴァニティアの扇を踵で踏み潰した。
ふう、と息をついた王は取り繕うように悠然と顔を上げる。瞼の落ちかけた視線が莉亜を値踏みする。

「……確かに、ならず者が入り込んではいたようだ。しかし、人間に封じられる程度の竜など救ったところで何も成せぬわ。役立たずの聖女には似合いかもしれんがな!」

国王の嘲りにジルが唸る。
しかし、先に一歩踏み出したのは莉亜だった。

「役立たずだろうが何だろうが、上っ面だけ飾り立てて中身が空っぽよりずっとマシよ。
ジルは伝説通りに加護を与えようとしていた。それを拒んだのはそっちじゃない!」
「知ったような口を利くな!」

かっと目を見開いた王の脇から、控えていた兵が槍を構える。
しかし、突き出される前にその刃は砕け散った。
咄嗟に顔を覆って身をかがめた莉亜だが、欠片はひとつたりとも彼女に降り注ぐことはなかった。

「大丈夫。リアには傷ひとつ、つけさせないよ」

代わりに降ってきたのは穏やかな声。

「我が聖女を守る。それが番たる竜の役目だ」

ぶわりと広がるジルの袖が莉亜を包みこむ。
王の号令の元、床を踏み鳴らす杖の音が鼓動を揺らす。
衛兵に代わって姿を現した術士達が、一斉に低い声で呪文を詠唱し、金の光が放たれた。

「同じ手を食らうか!」

しなやかな動きで光を跳ね飛ばしたジルの腕から、彼を捉え損ねた金の鎖が砕け散った。
その力に目を見張りつつも、ぐるりとふたりを取り囲む術士達に莉亜は戸惑いを隠せない。
ジルひとりならともかく、莉亜を庇いながらでは時間の問題かもしれない。

「きゃあ!」

金の矢じりが莉亜とジルを引き離さんばかりに放たれる。ジルの腕に伝う血を見て莉亜は息を呑んだ。
術士の杖は真っ直ぐにジルの心臓を狙っているのが見て取れる。

「やめてっ」
「リア、来るな!」

一瞬気圧された莉亜だが、足はジルの元へと一直線に駆け出した。

どうしよう、どうしたら彼を救える?

焦る莉亜の視界が、派手な金色にちかちか光る。

──金色。

はらりと額を滑るジルの前髪。露わになったジルの右目の色だ。
かつて黄金の槍で穿たれた右目。
壁画に残されていた最後の呪いだ。

ジルの腕に飛び込んだ莉亜は、その青鈍色の髪をよけて金の瞳を覗き込む。幾度も浄めた聖竜の壁画。最後の仕上げが、そこにあった。

「うまくいくかわからない、けど──」

莉亜の意図を察したのか、ジルは莉亜を抱き寄せる。
吐息で包むように、そっとくちびるで瞳に触れた。

金の矢が、金の鎖が、光の束が静寂に沈む。
聞こえてくる呼吸は自分のものか、抱え込んだジルのものか。

「……ジル」

名前を呼んだ、その時。
銀の光が祝福のように降り注ぐ。
真白に浄化された空気がさらさらと満ちていく。

「ジル、これ……!」

目を丸くした莉亜が言葉にするより前に、竜の姿に戻ったジルの青鈍色の鱗が、静かに輝く雪のような純白に生まれ変わっていく。

聖竜が、そこにいた。

「これが、伝説の」

あんぐりと口を開けてへたりこんだ王と、頭を抱えてしゃがみこむ衛兵や術士達に冷たく視線を送ると、ジルは勢いよく尾を振り払う。
衝撃で抉られた壁からぼろぼろと金箔が剥がれ落ち、藤の花のように垂れ下がったシャンデリアはふつりと切れて、やはり花のように潰れていく。

「ち、ちょっと、ジル、やりすぎ……!」
「ふん、腹いせだ」

初めて見せる荒っぽい表情はやんちゃ坊主のように幼くて、莉亜をドキリとさせた。

「さて、貴国の伝説に名高い聖女だが、我が──聖竜、ジルヴァス・クローネが貰い受けよう。もっとも、聞こえているかは知らんがな!」

おそらく玉座があったであろう瓦礫の山に向けて、ジルが皮肉交じりに宣言する。
翼を大きく広げると、腕の中に抱えていた莉亜を背に乗せて飛び立った。
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