私と彼の溺愛練習帳
「雪音さん、男性の水着、わかるよね?」
「え……?」
「もし本当にほくろの数を知っているとしたら、それだね。小さい頃、家族で一緒に海水浴に行ったことがあるから。」
「海水浴……」

「画像は偽造できる。僕もあなたのお母さんの顔を作ったよね」
「そんな手間暇かけるもの……?」
「手に入れたいものがあればなにをしてでもっていう人はいるよ。僕だってそうだ」
 彼は雪音を見つめる。
「あなたを手に入れるためなら……あなたの幸せのためなら、なんだってする」
 断言されて、雪音はさらに手をもじもじと撫ですさった。

「言わなかった僕が悪いけど……でも、きちんと聞いてほしかった。そしたら説明したのに」
「必要なら話してくれると思ったの」
「それだけ?」
「……怖くて、聞けなかった。今まで、悪いことが起きるのが当たり前だった。聞いたら、悪いことを引き寄せる気がして」

 母がいなくなってからはつらいことの連続だった。幸せな毎日は居心地が悪かった。閃理と離れて、ある意味でほっとしたのは事実だ。

「溺愛の練習の次は、幸せになる練習が必要なのかな」
 閃理は雪音を抱きしめる。
「不幸になる覚悟じゃなくて、幸せになる覚悟を決めて」
 まるでプロポーズみたい。
 雪音はなにも言えなくなってうつむいた。


 
 雪音は母の病室に閃理を連れて戻り、彼を紹介した。
 恋人なの、と告げると、母はうれしそうに微笑んだ。
 負担のない程度に会話を楽しみ、雪音たちは病室を辞した。



 雪音は閃理と手をつないで病院を出た。
 歩道の花壇にはパンジーが植えられていた。白、黄色、紫、ピンク。色ごとに行儀よく並んで咲いている。

 せっかく会えたのに。
 雪音は少し寂しく思いながら彼の横顔を見た。
 駅まで行ったら、もうお別れだ。
 また会えるのはわかっている。
 だけど。

「帰りたくないな」
 気が付くと、つぶやいていた。
 閃理が驚いて足を止める。
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