御曹司は初心な彼女を腕の中に抱きとめたい

引き裂かれた関係

「弓川コーポレーション総務でございます」

美和が隣の席で外線にでた。すると保留に切り替えられ、私に声をかけてきた。

「三橋製薬の馬場さんって方からなんだけど、みちる分かる?」

三橋製薬は蒼生さんの会社。でも馬場さんなんて聞いたこともない。私が知っているのは合コンに来ていた人くらい。でも彼の会社からだと思うと何事かと不安になり電話を回してもらった。

「お待たせしました、安藤です」

『安藤みちるさんですね。私は先日車の送迎をしておりました秘書の清水(しみず)と申します。蒼生さんのことで少しお話しをさせていただきたいのですがお時間をいただけませんか。蒼生さんには内密でお願いします』

「蒼生さんのお話しですか?」

『はい。今お仕事中かと存じますので当たらめて時間を作ってください。携帯の番号をお伝えしますのでそちらに連絡をいただけますか』

馬場さんのいう通り、仕事中にする話ではないので私は電話番号をメモし、電話を切った。この前の運転手だと言っていたが特に会話もなかったのでどんな人だったかわからない。ドアを開けてくれた時に優しそうな顔で長身だったくらいの記憶しかない。そんな人が私になんの用だろう。なんだか嫌な予感がした。

「みちる、大丈夫?」

美和が心配そうに小さな声で聞いてきてくれた。私は小さく頷いた。すると彼女はまだ心配そうだが、仕事に戻って行った。私は番号を書いた紙をバッグのポケットにしまい込んだ。そして不安を抱えたまま仕事が手につかず、いつもよりも時間がかかってしまった。
珍しく残業になってしまった私が会社を出ると蒼生さんも帰りが遅くなるとメッセージが届いていた。
彼も遅いのなら、と私は意を決してバッグの中からメモを取り出すと馬場さんの番号を押した。

『馬場です』

落ちついた声が聞こえてきた。

「あの、私、先ほど電話をいただいた安藤みちるです」

たどたどしく私は名前を告げると彼はすぐにわかったようだ。移動するような音が聞こえた後にまた声が聞こえてきた。

『ご連絡ありがとうございます。できれば直接お話しをしたいのですが本日はこのあといかがですか?』

まさか今日の今日で言われると思わなかった。けれど今日は蒼生さんの帰宅が遅いことはわかっている。蒼生さんに内密な話となると今日の方がタイミングがいいかもしれない。大丈夫です、と伝えると馬場さんが来るまで迎えに行くので先日乗車したところで待っていてほしいと言われた。
電話を切ったあと、なんの話なのか不安がよぎる。蒼生さんに内密だなんていい話の訳がない。でも聞かなければならないと思った。
十五分くらい待っただろうか。この前と同じ黒のセダンが私の前に止まった。運転席から降りてきた彼はこの前と同じように後部座席のドアを開けてくれた。私が乗り込むとドアを閉め、運転席へと戻った。
車はどこに行くとも言わず走り始める。

「あの、どこに向かっているのでしょうか?」

私がおずおず話かけると、馬場さんはルームミラー越しに「社長のご自宅です」と告げた。
社長、というと彼のご両親?
嫌な予感は的中したとわかった。
その後はまた無言のになると車は二十分ほど走り、高級住宅街に入った。どの家も一世帯あたり家の大きさが段違いに大きい。
中でも角地にあり、他の家よりも更に大きな家の門を車のまま通り抜けた。敷地内を車が入れるほどの大きな土地に見えてきた自宅はレンガ作りの煙突がある洋館だった。玄関の前に車が停められると馬場さんはまた運転席から出てきて後部座席のドアを開けた。

「どうぞ」

降りたくない気持ちになるが、ここまできてそうもいかないだろう。
私は車から降りると、馬場さんは玄関の中へと案内をする。
玄関のすぐ隣にある部屋は家の割に大きくなく、客間というよりは談話室のような雰囲気だ。置かれた応接セットは素敵だが、どこかもの寂しい。ここで座って待つように馬場さんに言われ、一人がけのソファに腰掛けた。
そして程なくして馬場さんと共に初老の男性がやってきた。
私の目の前に座るとにこやかな笑顔を浮かべていた。私も思わず笑顔を浮かべた。思っていたより悪いことにはならないのかもしれなないとホッとしたのも束の間、男性からの言葉は私の心を抉るものだった。

「蒼生と付き合っていると聞いたのだが本当かな?」

「はい。安藤みちると申します」

私は立ち上がると頭を下げ、挨拶をした。

「そうか。それでいつまで付き合うのかね」

「え?」

「ははは、まさか結婚とか考えていないだろうね。蒼生はうちの跡取りだ。それに三橋製薬にとっても後継者指名をこれから受けようとしている。今は研究員のような真似事をしているが、あと数年も待たずにそれもやめて本社で経営者としての自覚を持つだろう。そんな蒼生と結婚ができるなんて普通のお嬢さんが考えてなんかいないだろう?」

まさかね、と私を見下すように笑う。私を認める気なんてないのだろう。蒼生さんのお父さんのはずなのに怖い。私を排除しようとしているのがわかった。

「蒼生は優しいだろう? いいところにも住んでいて贅沢させてもらっているだろう? この生活を手放せと言われても納得できないだろう。だから私としても君に感謝の気持ちも込めてささやかだがこれを用意させてもらったよ」

懐から封筒を取り出した。封はされておらず、封筒の口からは数えきれないほどのお札が見えた。まさか、と思ったがそのまさかのようだ。

「これで蒼生の前から消えてくれないか?」

「嫌です」

私は咄嗟に口に出た。彼の前から消えるなんてできない。
私の言葉に呆気にとられた様子だったが気を取り直したのか、私に提案をしてきた。

「ならこの倍だそう。どうだろうか。次の仕事も斡旋しよう」

「お金じゃないんです。私は彼と別れたくないんです。許してもらえませんか?」

立ち上がったままの私は頭を下げ続けた。

「それは蒼生の将来を棒に振らせるということだとわかっているんだろうね」

さっきまでの笑った顔は消え、冷たい目と声になっていた。いかにも企業のトップといった雰囲気で圧倒されてしまう。

「君が蒼生になんの役に立つんだ?」

私が蒼生さんにとってなんの役に立つか? わからない……。考えたこともない。ただ、彼と一緒にいて、楽しくて、幸せで。ただそれだけ。そんな私が彼の役に立てるかなんて想像もつかない。黙こむ私に彼のお父さんは追い討ちをかけるように言葉を投げかけてきた。

「学歴は? 実家はなにをしているんだ? パーティーのホストは務められるのか? 蒼生の役に立つというのはバックアップしてあげられるかどうかを聞いているんだ。好きだ嫌いだで企業のトップに立つ人間を支えられるのか?」

私にはどれも無いものばかり。ただ好きなだけだ。私が無言になるのが返答だと受け取ったようだ。

「蒼生のためによく考えてほしい。決意したら馬場に連絡をくれ。でもいつまでもは待てない。子供でも作られたら大変だからな」

そう言い放つ姿に青ざめた。馬場さんに促され私が部屋を出ようとすると家政婦さんらしき人がトレイにお茶を乗せてきたところだった


「たえさん、お客さんはお帰りだ。見送りを」

「は、はい」

馬場さんに手を引き上げられるように連れ出された私を見て驚いた表情を浮かべていたが、慌てて玄関を開けていた。私はまた乗ってきた車の後部座席に乗せられると蒼生さんのマンションへと送られる。
途中で出始めた涙が止まらなくなり、このままでは蒼生さんに会うことはできないと思った。こんな顔をしていたら心配させてしまう。
私は馬場さんに私のマンションへ送ってもらうようお願いした。
蒼生さんには美和と仕事のあとに久しぶりに飲みに行くことになったとメッセージを送信した。すると蒼生さんからすぐに返信があった。

【夜道は危ないから迎えに行く】

どうしてそんなに優しいの? メッセージを読んでますます涙が止まらなくなってしまった。
スマホが涙で濡れ、画面が見えにくい。
馬場さんに少しでも鳴き声が漏れないよう、私は歯を食いしばり彼に美和の家に泊まると嘘のメッセージを送信した。
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