御曹司は初心な彼女を腕の中に抱きとめたい
翌日、早速街の中を歩きながらスマホの番号を交換できる店を探した。
実は昨日の夜も蒼生さんからメッセージがきていたのでビクッとしてしまった。内容は今日も帰れないって書かれていたので私はいつも通りの返信をしようと思ったが、いい足りない。いつもより少しだけ長くなってしまった。

【お疲れ様です。体には気をつけて、食事もきちんと摂ってね。眠れる時にはしっかりと眠って。蒼生さんがいつでも元気でいてくれることを祈ってる。仕事頑張って】

メッセージを送ると私は電源を落とした。これ以上彼とやりとりをしていたら今の決断が揺らいでしまうと思ったから。
データの移行のためにスマホの電源を店で入れると何通ものメッセージと着信が入っていた。その多くは蒼生さんからだった。これ以上感情が揺さぶられないように、削除した。留守番電話も聞かなかった。
連絡先からも削除し、もう彼に連絡を取ろうとしても取れなくなった。
両親にだけは会社を辞めて引っ越しをしたと連絡をするととても驚いていた。なぜ? と何度も聞かれたが理由は伝えなかった。とにかく落ち着いたら居場所も教えるからと説得をし、電話を切った。困ったことがあるならば必ず連絡をしなさいと母に泣かれてしまい、罪悪感に押しつぶされそうだった。定期的に必ず連絡をするし、決して危ないことはしないと約束すると少し安心してくれた。

勝手に連れてこられた場所だったが、案外便利なところのよう。
少し歩き回ると商店街があり買い物にも困らないし、にぎやかで活気があり、今の私にぴったり。
この数日食事を取れずにいたが、通りかかった肉屋のコロッケの匂いに惹かれ食べる力が湧いてきた。

「すみません。コロッケひとつください」

「はいよ」

揚げたてのコロッケをすぐに食べられるように渡してくれた。熱々のコロッケにソースをかけ、パクリと食べるとほんのり甘くて、ホクホクしたジャガイモの美味しさを引き立てている。

「美味しい」

「そりゃあそうよ、うちのは一番だからね!」

おばあちゃんがそう言って笑っていた。
また来てね、と言われると嬉しくなった。短い会話だけど、久しぶりに他人を話して気持ちが少し浮上した。
新生活をきちんと始めなければと、と前向きになってきた。
私ができる仕事なんてあまりない。総務で雑務をこなしていただけで資格などもない。そんな私にできる仕事となると選択肢が狭まる。新しくしたスマホで求人を検索すると事務職はあまり出ておらず、めぼしいものが見つけられなかった。
蒼生さんのお父さんがくれた封筒は使う気はない。引き出しにしまったままになっており、いつか返そうところ思っている。
だから私は今貯金を切り崩して生活している。ありがたいことに住むところに困らないのだけは助かっているが食費もバカにならない。だんだん節約生活になっていった。
たまたま商店街を歩いていたらいつも気になっていたパン屋さんの前で足が止まった。
店員さんが求人の広告を貼ろうとしていたからだ。

「あの、求人を出すんですか? 私働きたいです!」

「え?」

「安藤みちると言います。今仕事を探しているところなんです。ここのパン屋さんはいつもいい匂いがしていたので引っ越してきてから気になっていたんです」

私は前のめり気味に話し始めた。すると店員さんは店長さんに声をかけてくれるという。店内に案内されると甘いいい匂いや香ばしいパンの焼ける匂いがした。

「こんにちは。仕事を探しているって聞いたんだけど」

五十くらいの男性が奥から手を拭きながら出てきた。

「はい! 引っ越してきたばかりで仕事を探していたんです」

「でもうちの仕事ハードだけどいいの? 朝も早いし、立ち仕事だし、何より思っていたよりも力仕事だって言われて辞める人も結構いるんだよね」

「朝は得意です。それに総務でこの前まで働いていたのですが、意外と力仕事も多かったので大丈夫です。なにより食べるのが好きなので食に関わる仕事をしてみたいです」

私の熱意に押されたのか、そのばで即決はできないが履歴書を持ってまたきて欲しいと言われた。帰りにお土産だと言われあんぱんとクロックムッシュを渡された。お金を払おうとしたが、あまりものだから、と受け取ってもらえなかった。履歴書を持ってまた明後日会う約束をし、私は帰宅した。
家に帰りパンの包みを開けるといい匂いがしている。思わずあんぱんを口にするとあんこの美味しさに驚いた。甘さが控えめで上品。外側のふんわりした生地によく合っていた。思わずクロックムッシュにも手を出してしまった。こちらはチーズと卵のバランスが絶妙で止まらず、一気に食べてしまった。
私はすぐに履歴書を記入すると約束通り二日後に持参した。
軽く経歴を見た程度であとは雑談のみで採用になり、明日から出勤となった。
七時半出勤で夕方十六時半までの勤務だが何も問題はない。学生が午後からの時間帯はフォローするらしく朝働ける人は大切だと言ってもらった。
パンの種類や値段を覚えつつ、焼き上がったものを店内に運び、合間を見てはトレイを洗浄する。ここはカフェも併設しているのでドリンクも覚えなければならない。始めてのことばかりで右往左往してしまうが店主と奥さんにフォローしてもらい一ヶ月を過ぎた頃ようやく慣れてきて一人で任せてもらうことが増えていった。

「みちるちゃんは働き者で助かるわ。言わなくても片付けを手伝ってくれたりするから一緒に働いていてとても働きやすいの。ありがとう」

奥さんにそう言われると恥ずかしくなってしまう。特別なことは何もしていないが、誰かの縁の下の力持ちのような存在になれるのは総務に通づる。こんな仕事が好きだった。目立たなくていい、でも誰かのためになれることをしたいって思っていたんだと久しぶりに思い出した。

「みちるちゃんはどうして引っ越してきたの?」

素朴な奥さんからの質問に言葉を濁す。なんて説明をしたらいいのかわからない。私が返答に困っていると奥さんはさりげなく話題を変えてくれた。気を使わせるようなことになり申し訳ない。
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