愛を秘めた外交官とのお見合い婚は甘くて熱くて焦れったい
「大切にできないのなら、私に返してください」

〝そんなことはない〟と、とっさに言いきれない。
 もちろん彼のことは愛しているし、大切にしているつもりだ。

 でもそれは、独りよがりなものになっていないだろうか。

「それじゃあ」

 私からの言葉はいっさい求めないまま、山科さんは店を後にした。

 彼女の追及に、なにひとつ反論できなかった。
 すべての指摘がその通りに聞こえて、非は私にあるのだと思わされた。

 それまで感情を伺わせない淡々とした口調だった山科さんが、悲愴感すら滲ませて〝私に返して〟と訴えた声が耳から離れない。

 千隼さんは、彼女のものだった。
 過去の話だとはいえ、ふたりの関係をはっきりと明かさないのは、妻となった私への気遣いだったのだろうか。

 私はまるで、想い合うふたりの仲を引き裂く悪役みたいだ。


「小春」

 山科さんが去って、どれくらい時間が経っていただろうか。
 うつむいて、込み上げてくる衝動をやり過ごしていたそのとき、頭上から声が降ってきた。
 低く穏やかなこの声は、千隼さんのものだ。

「どうした? 具合でも悪いのか」

 顔を上げない私に、千隼さんが心配そうに尋ねてくる。ひと言でも発すれば涙が溢れてしまいそうで、唇を噛みしめて小さく首を左右に振った。

 私の肩に手を置いた彼が、少々強引に顔を覗き込む。
 色を失くしているだろう私を確認すると、彼はすぐさま予定をキャンセルして帰宅を決断した。

 自宅に戻ってからも、大丈夫だと言ってもあれやこれや世話を焼こうとしてくれる。
 仕事を終えて疲れているだろうに、私に献身的な彼を見ているとさらに申し訳なさが増した。

 「ごめんなさい」とだけしか言えない自分が情けない。
 寝支度を整えて、千隼さんと共に早々にベッドに横になる。
 彼の胸もとに抱き寄せられて、とくとくと伝わる規則正しい鼓動を聞いているうちに深い眠りに落ちていた。
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